批判の種を探る
自分の力でここまで生きてきたと考えがちですが、最近、見えない大きな力に動かされている感じがしています。
昨日午後から母の三回忌の準備をしようと思っていた矢先に1本の電話がありました。
夫婦喧嘩が絶えず、離婚の危機を感じている方から面談をしたいとの電話でした。妻は、買い物に出掛けているので、判断を躊躇していましたが、今すぐにでも面談したいと言う切羽詰まった電話で、その訴える声からは、夫婦関係の限界に悲鳴をあげている大きなエネルギーを感じ、圧倒されました。
三回忌の準備だけでなく、父の介護への対応もあり、大変な状況になる事は見えていました。それでも面談を選択しました。
何となく大きな力に導かれている感じがしました。
1時間後に面談をする約束をし、その準備を始めました。
電話で妻に事情を説明しました。そして、父親のデイサービスからの迎えの対応ができなくなったため、実家を開錠し、いつでもベットまで担当の方が運んでいただけるように準備をしました。
準備を終え、到着を待ちました。
電話があり、道に迷ったようで、迎えに行き、合流し自宅に戻りました。
何とか予定の時間に間に合い、無事に面談を始める事ができました。
ご主人の面談をしている最中に妻が帰って来ました。事情を知っている妻は慌てる事なく、お子さんと一緒に過ごしている奥さんの対応をしてくれました。
案の定、面談の時間が長くなり、父の迎えの時刻を過ぎ、私も妻も対応できませんでした。
終了後、監視カメラで、確認したところ、係の方が、上手くベットまで父を誘導し、寝かせてくださいました。
一連の流れの中に見えない大きな力の存在(神様)を感じました。
思いがけない電話(依頼)・・・神の仕業
面談を選択・・・・・・・・・神様に導かれた結果(事情を聞き高ぶる感情)→神様に試されている
妻への電話・・・・・・・・・合意を得ずに勝手な判断で引き受けた事の連絡(思考)→神様に試されている
介護への対応・・・・・・・・難局を乗り越えるための対応(行動)→神様に試されている
それにしても、何と不思議な出来事が起きるのだろうと思いました。
神様に自分のあり方(感情、思考、行動)を試されている感じがします。
私たちは、常に選択を迫られています。どれを選択するかは自分次第ですが、どれを選んでも、今の自分のあり方を試されているように感じます。
(その時扱った感情、思考、行動それぞれに選択があります。どれを選択しても、その選択に合った結果を得ています。)
その選択に合った支援を頂き、一歩前に進めるための土台作りをしているようなものです。
おかげで法要の準備は、夜になってしまいました。しかし、何事もなかったように妻と二人で淡々と準備をしました。
これもまた、神様に導かれた結果かもしれません。