ラジオ体操で育てる
私たちには、いろいろな顔を持っていますが、その顔を意図的に使っているというよりも、その場に合った顔になることの方が多いかもしれません。
例えば、
・家で仕事をしている時には、仕事人の顔で仕事に向かっていますが、子どもが現れた瞬間、親の顔になります。
・散歩中に知人と出会えば、友人の顔になります。
・子どもと遊んでいる時、電話がかかってくると、電話の相手に合わせた顔になります。
瞬間瞬間で顔を自在に変えていますが、顔を意識的に使うことで、自分を高める事ができます。
出来事に反応して変えている顔は、何も準備ができていないので、場当たり的に対応する事が多くなります。
顔を変える事が事前にわかっていればそれなりの準備ができているので、その顔を生かすために視野を広げて、上手く対応できるように精一杯知恵を使います。
相手に合わせて話す内容を準備したり、物をそろえたりするのもそれです。
妻は、私のスケジュールを毎日聞いてくれます。そして、スケジュールに合わせて、食事の準備や服装などに気をかけてくれます。
協力を得てはいますが、これも顔を生かすための準備になります。
いずれにしても顔を意識している時と意識していない時では、大きな違いが生まれます。
日常生活ではいろいろな顔が現れますが、これまで、あまり意識せず、その場に合った顔になって生活してきたように思います。
場当たり的に顔を変えている自分ではいけないと思い、その時々の顔を意識するように心がけて生活してみました。
すると、一番意識していないのが身近な家族といる時の顔だという事が分かりました。
安心安全な場にどっぷりと浸かり、甘えられるだけ甘えて生活をしている自分がいました。
パートナーとしての顔ではなく、まるで親に甘える子どものような顔で家庭生活を送っているのです。
私の顔を気遣っていてくれる妻がいてくれるから今の生活が送れているのだと今更ながら、気づきました。
感謝の気持ちがありますが、それを行動に表していない情けない自分がいました。
妻が、夕食の準備をしている時、のんびりとテレビを見ているのが、申し訳なくなり、何かできないかと思いました。
ムートンのシーツが布団干しにかけてあるのが目にとまりました。このシーツは、重くていつも妻が大変にしている事が頭ををよぎりました。
「これだ。」と思い、シーツを敷き、いつでも寝られるように準備しました。
夕食の準備を終えて、私を呼びに寝室に来た妻がそれに気づきました。
言葉にはしていませんが、何となく喜んでいるように感じました。
「シーツ敷き」・・・・そうだ。これを私の仕事にしよう
(2人のためにしていることはあっても、妻のためにしている事がほとんどありませんでした。)
パートナーとしての顔を意識し、これから、感謝の気持ちを込めて、妻のために「シーツ敷き」をしようと思いました。