自分らしく生きる
怒りを爆発させた後の気まずさが残ると、その後の関係が悪くなる事があります。
それは、怒りが爆発した時のイメージが強いため、相手を見るたびに「あの時、あのように怒った。」とその時の映像が脳裏に浮かぶからです。
脳は常に安心安全を優先するので、危険を察知し、怒った相手を排斥しようとします。
昨日叱った孫の様子が気になっていました。
私たちがもっている怒りの感情は、印象に残りやすくその後に影響があっても仕方がありません、
昨日怒った理由は、嘘をついて誤魔化して生きるのではなく、正直に誠実に生きてほしいという願いがありました。
これを印象付けるために必要だと思っていました。
ただ、今後の関係に影響が出ないか、心配もありました。
後悔しているわけではありませんが、見届けをし、適切な対応をし、問題があれば、改善しなければなりません。
叱った兄弟の兄については、日常に変化がありませんでした。一晩経った弟の方には、まだ会っていない状況で朝を迎えました。
弟は、毎日、登校前に家に立ち寄ってくれるので、様子を見ていました。
おはようと挨拶したのですが、いつもと比べると、声が小さく、元気のない声でした。
そして、申し訳なさそうな目線を感じました。
そこで、
「昨日怒った事は、もう済んだ事。今は怒っていないよ。昨日は、昨日。今日は、今日。」
と話しました。
そして、おどけた表情をして、気持ちが変わっている事を伝えました。
何とか気持ちを切り替えて登校してもらいたいとの気持ちでそんな事をしてみました。
別室にいたのですが、家から出て行く気配がしたので、急いでゴミ出しの準備をして、登校班の集合場所に行きました。
子どもたちが集まっていたので、みんなに挨拶をしながら、孫の様子を見てみました。いつもと変わらない表情に戻っていたので、安心して、ゴミ出しを終えて家に帰りました。
日頃の弟と変わらない様子を取り戻す事ができたので、弟への対応はよかったと思っています。
私は、喜怒哀楽を制約を受ける事なく、豊かに表現したいと思っていますが、他者への影響を考える事はとても重要だと思いました。
特に生きる上で、負となりがちな「怒」「哀」については、十分配慮が必要です。
いつまでも引きずることなく、切り替えを早くすることで、影響を最小限にできると思いました。
そして、怒っている(哀しんでいる)自分を客観的に外から観察してみる事が役に立っていると思いました。