終活は生き様

須田敏男

須田敏男

テーマ:生き方

 地区敬老会が、係の方々の精一杯取り組みのおかげで、無事終了する事ができました。
 参加者からも、慰労の言葉をたくさん頂き、よい会になったと思います。
 私は今回の敬老会を通して、「生」と「死」について、いろいろと考える機会をいただいたと思っています。

 例えば、「終活」という言葉がありますが、残された者のために準備をする事は、大切ではありますが、負担軽減のためだけに死の準備をするという考え方は、何か違うように思うようになりました。

 残された者が感じる負担は、死者との関係性が作り出すものであり、負担を負担と思わない関係性があれば、どのような状況であっても受け入れる事ができます。
 
 「生」と「死」を考えていると、終活は、あくまでも自分のためであって、人のためにするものではないと考えた方がよいのではないかと考えています。

 私たちは、「死」まで、「生」を続けるわけですが、どのように生きたかが、とても重要で、自分らしく「生」を全うして「死」を迎えた方が生き甲斐がもてます。

 自分の中に「残された者のため」という思いがあれば、その方の生き方は、姿となって「残された者のための時間を費やす行動」に現れます。ここには、嘘がありません。
誠実さがあるので、残されたものにとっては、感謝になって現れます。

 しかし、無理して作られた姿であれば、それは見破られ、綻びが見え隠れし、不満を作り出すことになります。

 残された者への思いは、日頃の対応一つで、決まります。
思いが形になって現れるだけのように思います。

 互いに繋がりが強ければ、死後のさまざまな取り組みは、死者との別れのための大切な時間になります。
 負担が多ければ、多い分時間を費やすことになりますが、それだけ、別れるために時間が必要だということだと思います。

 「憎しみ」が深ければ、なかなか死者と別れる事ができません。負担を感じる時間が長くなるのも仕方がありません。
 逆に「慈しみ」が深ければ、これもなかなか死者と別れることはできません。でも負担ではなく、「感謝」の時間が長くなります。

 いずれにしても、残された者との関係性が、どんな時間をどれだけ費やすことになるのかが、決めることになります。

 いかに「生」を全うするのか、全てが自分次第になります。

終活は、その意味からすると、掃除に似ています。

 どこまで美しくするかは、その人次第です。

 細かなところまで気になる人はそれなりに時間をかけて美しくします。
 つまり、どんな時間をどれだけ費やすかということになります。

 介護は、美しく輝く「生」を全うさせたいという残される側の営みのように思います。

 去っていかれる方に対して、その人らしく最期まで生き抜いて欲しいと思います。

 ここに美しさを感じます。

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須田敏男(メンタルヘルスサポーター)

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 最新の脳科学をベースにした「NLP心理学」を生かし、家庭への支援から働く人への支援と支援の範囲を広げ、悩みを持つ人の相談活動や企業向けの研修などにも幅広く対応。

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