感情と結びついた思い込みが判断を誤る
ある雑誌の中で、アサヒビール社友 福地茂雄さんが、「お金で買えないもの」として、名誉、親友、ボランティアの他に「徳」を挙げておられます。
そして、最後に「徳を積むことの尊さが、どれほど理解されているでしょうか。」と書いておられます。
これらは、目に見えるものではなく、全て「心」の中にあるものになります。
そして、これを「利己心」「利他心」から整理してみると、
名誉、親友・・・・・・利己心
ボランティア、徳・・・利他心
となります。
自分にとって大切なものを大事にしようとする心の働きは、誰もが意識しやすいのですが、他人のために大事にしようとする心の働きは、なかなか意識しづらいものです。
これは、「チコちゃんに叱られる」の番組で扱った「都会の人が、冷たいのはなぜ」の回答からもわかるように、情報量が多いと、効率的なコミュニケーションを取る事が多くなり、他人との関わりが淡白になりやすいことも影響があるように思います。
日常生活の情報量の多さは、都会だけでないため、相手を思いやるような複雑で面倒なことを考える事は避けようと、脳が勝手に動き出してしまいます。
現代人が、人間関係で、ストレスを感じる事が多いのは、「情報量が多すぎる状態のため、無意識のうちに自分を守ろうと脳が働いているにも関わらず、それに逆らって、複雑で面倒な人間関係を考えているから、ストレスが生まれる」と考えると、理解しやすくなります。
ですから、意図的に脳を働かせ、複雑で面倒な相手の事を考える「ボランティア」や「徳」などという「利他心」は、身につける事は、とても難しい事になります。
意識してもなかなかできないのですが、その代わりに、問題のある出来事となって目の前に現れ、意識せざるを得ない状況が作られます。
逃げる事はできないようで、今避けてもいずれ形を変え、より複雑な形で、問題が現れてきます。
目の前に現れる問題に丁寧に誠実に対応していれば、問題解決の力を身につける事ができるので、複雑な問題は、現れにくくなります。
もし現れたとしても、それは、より高いレベルの問題解決力を身につけるチャンスが訪れたことになります。
これにも丁寧に誠実に対応すれば、より高い問題解決力が、身につくことになります。
このように考えると、目の前に現れる問題は、解決できる問題が常に現れて、解決できない問題は現れない事になります。
どこまで丁寧に誠実に問題に向き合うかが、とても重要になります。
この時、エゴが邪魔をし、「楽をしたい。」「簡単に済ませたい。」「避けたい。」「逃げたい。」などと言ってきます。
こんなとき、
「ごめんね。今が乗り越えるチャンスだから、協力してね。」
と、内なる声で脳に働きかけます。
感情が湧き上がらないように、呼吸を整え、
静かに答えが返ってくるのを待ちます。
微かな声にもならない何ともいえない、「何となく」が、返ってくるのをじっと待ちます。
「何となく、返事がきた」と感じたら、
「ありがとう。」
と、心からお礼をいいます。
エゴの代わりに、乗り越える知恵が湧き上がってくる事があります。
(例)
私の申し出を遠慮された方から、問題が手こずり、手に負えなくなったと問題解決の助けを求めてきました。
エゴは、協力を拒んでいます。
相手の都合のいいように使われたくない
厄介な問題に関わりたくない
尻拭いをしたくない
「ごめんね。今が乗り越えるチャンスだから、協力してね。」
(お腹のちょっと上辺りに嫌な感じが、塊となって現れた感じが出てきました。)
深呼吸しているうちに次第に消えていきました。
「じっくりと話を聞いてみよう」
ふと、そんな言葉が浮かんできました。
「ありがとう。」