日々の「選択」に目を向ける
仲間と一緒に事を進める時、自分の思い通りに事が進む時には、ストレスを感じません。
もし、全くストレスがないという事であれば、仲間が、ストレスを感じているかも知れません。
これは、手をつないで道を歩いているようなものです。
同じ思いで歩いている時には、一本道を楽しく歩いているので、ストレスはありません。
分かれ道に差しかかった時、どちらかを選ばなければなりません。
力の強い方が、強引に引っ張られれば、もう片方には、ストレスが現れます。
お互いにストレスなく歩くためには、一旦立ち止まって、合意する場を設ける事になります。
この時にどのように合意を求めるかが、知恵の見せ所になります。
互いの意見を出し合いながら、着地点を見つける事ができれば、ストレスは少なくなります。
どれ程の分かれ道があるのか、わかりませんが、分かれ道に差しかかった時に、その都度、立ち止まる時間が必要になります。
これでは、いくら時間があっても足りません。
それではどうするとよいのか、考えなければなりません。
一緒に歩く時には、目的地があります。
これがヒントになります。
目的地が一緒であれば、選ぶ道が違っても、多少の譲り合いが可能になります。
事を進める時には、目標や目的があります。実際に事を進めている時には、現場で起きる問題にあった問題解決にあたる事が多くなり、この目標目的が忘れられている事が多いように思います。
目標目的に立ち返り、立ち止まる事で、どの道を選ぶか決めやすくなります。
また、「目標目的から考えたら、仕方がないか。」と譲り合うこともできます。
(気づかないうちに目標目的が別のものにすり替わっていることもあり、目標目的を再度意識する機会になります。)
仲間が多くなればなるほど、多種多様な考えが生まれてくるので、この目標目的への意識づけを明らかにしておくと、歩む道がある程度絞られてきます。
この点から考えても、時間短縮に役立ちます。
先日、依頼した文書の内容が、こちらの意図とは異なる文書となって返ってきました。
なぜ、このような事が起きるのかを考えた時、この目標目的への意識付けが弱かった事に気づきました。
目の前の問題の奥に潜む個々の考えの違いをまとめていく知恵を出さない限り、問題を抱えたまま、前に進むことになり、ストレスが、次第に大きくなるのではないかと、イヤな予感がしました。
このようにとらえると、目の前に起きる出来事は、「神様から、前に進むための試練」と考える事ができます。
自分の表現力の至らなさがこの問題の原因を作っているように感じました。