読書の世界
醸し時間(充実した1日を過ごすために今日する事を決める時間)を設けてから2か月程過ぎました。
始めた頃は、意義ある、大切な取り組みだと取り組む意欲一杯で、1ヶ月程毎日続ける事ができましたが、当初の意識の強さがなくなってからは、3日程忘れている事もあり、思い出してはまた、書き始めると言う生活を繰り返していました。
今回はちょっと長くなり、10日ほど続いています。
今までは、必ず朝の決められた時間に書くだけ、その時間以外は書かないと決めていたので、状況によってはできない事がありました。
その枠をゆるめ、気づいた時に書き込んで置く事もよいことにしたので、少し楽になり、前よりも続けられるようになったと思います。
枠は、自分で決めるのですが、その枠はこれまでの自分の見方考え方が反映されています。それに固執しているとなかなか変化できず、感情が湧き上がり、自分を苦しめることにもなります。
続けることに意味があり、枠に縛られることではないと考えて、柔軟に対応する事ができました。(「意思」が、顔を出しました。)
これまでは、その時々の気分に流されて、「書く」「書かない」を決めていたように思います。
言いかえると「思考」が「感情」に操られていたことになります。
今回は、違います。
続けたがっている「意思」が、動き出しました。
「意思」が「思考」をうまく操った結果が現れているように感じます。
解決する方法を「思考」に要求し、それに「思考」が答えた結果が、枠に縛られない柔軟な対応だったと思います。
そして、最近、この柔軟性を発揮しながら、「意思」が、「思考」を操っている事が増えてきたように思います。
・至らないところは、気になるが、よいところを生かそう。
・失敗は仕方がない。カバーできる事を見つけて動くしかない。
・何度も同じことを繰り返すには、それなりの理由があるから受け取ろう。
・なかなか動いてくれないけれども、誠実さを信じよう。
・嫌な気分になる事を伝えた方がよいかも知れない。
「意思」が働くため、「感情」が動き出す前に立ち止まる事が少しずつ増えている感じです。
多分、「思考」の理解が深まってきた事が、思考を操ることにつながっているように思います。