限界まで続ける
私は、「子どもの頃は、依存しながら成長し、自立して大人になっていく」と考えていました。
ですから、大人になれば、自立した生き方をしているので、子どものような依存心はないと思っていました。
それが、最近崩れ始めています。
介護をしているため、できない事が増えていく父親を見ているからではありません。
私自身の在り方になります。
これまで、自分自身の力で自分の人生を切り開いてきたという自負がありました。
ですから、頼る事は、自分が未熟だからと考え、頼らないで生きていこうと決めていた節もありました。言い換えると「依存は悪」という姿勢だったように思いました。
極端な話ですが、「宗教に頼る事は、自分の弱さを認めることになり、絶対的に無宗教でいよう。」とさえ思っていました。
しかし、世界が広がり、一人でできる事の限界を知り、力を借りないとできない事が多くなり、頼る事が増えてきました。
頼る事が増えてきたため、「依存」の視点から、出来事を見つめる機会が増え、この事は、私だけでなく、誰にでも起きている事だと思えるようになりました。
依存を否定した私が、「誰にも依存心と自立心があり、バランスをとりながら生きている。」と考えるようになりました。
この時に役に立つのが、アメリカの心理学者マズローの欲求の5段階説です。
1. 生理的欲求(食欲・睡眠欲・性欲など)
2. 安全の欲求(身体的に安全で、かつ経済的にも安定した環境で暮らしたい)
3. 社会的欲求(社会集団に所属して安心感を得たい)
4. 承認欲求(集団の中で高く評価されたい、自分の能力を認められたい)
5. 自己実現の欲求(自分にしかできないことを成し遂げたい、自分らしく生きていきたい)
下位の欲求が満たされると一つ上の欲求が生まれ、またそれを満たそうとする・・・というように段階的に満たしていくという考え方です。
それぞれの段階に依存心と自立心があり、欲求を満たすために両者が支え合っていると考える事ができます。
強いて言えば、私自身は、自己実現の欲求を満たしたいと思っているので、実現に必要な「依存」(多くの共感者を得たい)があり、「自立」(共感を得るための表現力を身に付けたい)があるように見えています。
ストレスは、欲求が満たされない時に発生しますが、下位の欲求が満たされているかを見極めることで、適切な「依存」と「自立」を役立てる事ができます。
不登校の子どもの中には、下位の欲求が満たされない事が原因になっていると考えられる事例もあります。
どのレベの欲求を満たしたがっているのかを見極めると、必要な「依存」と「自立」が見えてきます。
昨日の立てこもり事件でも、事情聴取から「解雇されたことへの不満」と報道されましたが、まさに安全欲求が満たされない事が、引き金になっていると考える事ができます。
依存せずに自分で何とかしようとしたために起きた事件と見る事もできます。
もしかすると、虐待も同様に考える事ができるかもしれません。
弱い相手に自分の力を発するのではなく、「依存する事はできないか。」「もっと別に力を発揮する場面はないか。」など自分の可能性に目を向けていけば、別の対処の仕方が、見つかるように思います。
ただ、感情に流され、いつもの「自立」が顔を出し、上手く「依存」できない事は、私自身の課題でもあります。
うまくいかない時こそ、満たされない欲求に目を向けて、「依存」と「自立」を生かしたいと思います。