幸せの上に成り立っている不幸
ウイズコロナの中、少しずつ地域の活動も活発に行われるようになってきました。
しかしながら、コロナ対策を万全にしながら、活動しなければならないため、以前より、活動に負担があり、活動を取りやめたり、縮小したりする事もあります。
このような状況を解決するためには、負担を減らす取り組みが必要だと思います。
昨晩の地域での会議でもこの事が話題となり、考えを改める必要を感じました。
負担を減らすためにボランティアによる参加者を増やす
今までにない発想が生まれてきました。
何とか持続させたいという強い願いが、新たな発想を生み出したのではないか思いました。
考えてみると、私たちの生活の中で生まれてくる発明品や便利グッズなどは、どれも困難を克服するために生み出した知恵の結晶だと考えられます。
困難を乗り越える強い意思が、新たな道を切り拓く事は、企業の経営でも、政治でも、芸術文化の分野でも同じ事が言えます。
身近なところでは自分の習慣でも、家族の問題でも、職場の問題でも同じことが言えます。
言い換えれば、強い意思があれば、どの道であっても、必ず道が開かれるという事だろうと思います。
この時、一人ではなかなか乗り越えられなくても、同じ思いを持ったいわゆる「同志」が、大きな力になって支えてくれます。
自分一人で何とか乗り越える事ができる人は、ほんのわずかだと思います。
多くの場合、仲間の力に支えられながら、乗り越える事ができのではないでしょうか。
一人で何とかしようと思う背景には、強い責任感や義務感などがあるだろうと思いますが、一人で抱え込むと視野が狭くなります。
視野を広げ、知恵を生み出すためにも「同志」が必要です。
助けて!と声をあげる事は、恥ずかしいことでも、情けないことでもなく、新たな知恵を生み出すための大事な力のように思いました。
安易な助けではなく、勇気を振り絞った末の心の叫びだから、人が動くように思います。
会議の中で、ボランティアの参加によって負担を減らすと訴えた裏に、地域への熱い思いを感じ、「同志」として、支えたくなりました。