身体を大事に
子どもたちの遊びにいじめにつながる姿を見つけたので、遊びをやめ、全員を集めて話をしました。
話を聞く中で、「前、〜されたから、きっと今日も〜すると思った。」と、お互いが、思っている事がわかりました。
過去の出来事を引きずりながら遊んでいるため、同じ遊びをすると、似た状況が現れると、過去と同じ反応をします。それが繰り返し行われるため、力の強い方がいじめ、力の弱いがいじめられるという構造になっている事がわかりました。
過去は過去、今は今と割り切って遊べない・・・・
話している時に、ふと、私も子どもたちと同じように、過去を引きずりながら、生きていると思いました。
いじめ指導のやり方は、教師をしていた頃の自分そのものになっています。
いじめを許さないという思いが強く現れ、その気持ちを伝える事に意識が働いています。
これではいけないと思いつつも、感情に流されて、止められず、いじめられた側の思いを強調した指導になってしまいました。
指導を振り返ってみると、
視野が狭くなっていたため、いじめが起きる構造がわかった事で満足していたように思いました。
いじめなく、みんなで楽しく遊ぶ事が目的なのにその目的を忘れていました。
みんなで楽しく遊べるために次の話を加えればよかったと反省をしました。
いじめをしないという人の心の中にも
・いじめたい気持ちが必ずある
そして、
・それを止める自分がいるからいじめをしないでいられる
を伝え、
・自分を止めるだけでなく、他人も同じように止める
と、みんなで仲良く遊ぶ事ができる
これは、子どもの遊びに限った事ではありません。
いじめが起きても他人事にし、自分の内側で起きている事をそのまま外の世界で発揮しないでいる事が多いように思います。
「面倒な事には、関わりたくない。」
「関わると自分にも被害が及ぶかもしれない。」
「自分とは関係ない。」 など、
とエゴが働き、「いじめを止めようとする自分」を心の隅に追いやっています。
コロナ禍で人との距離がなかなか縮まりません。
「人との繋がりを大切にしている自分」が心の隅に追いやられている事が、いじめや虐待が増えている要因にもなっているように思えてなりません。
誰の心の中にも「いじめたい自分」があります。
「見つからなければ、いい。」
「この程度ならば、いじめても言い訳ができる。」
「この程度いじめないと、気が済まない。」 など
と、エゴが働き、「いじめたい自分」を応援し、「いじめを許さない自分」を心の隅に追いやり、いじめてしまう。・・・「人との繋がりを大切にしている自分」を心の隅に追いやった結果のように思います。
「いじめを止める自分」も、必ず誰の心の中にあります。
「いじめを止める自分」が登場するまでのほんの少しの時間(深呼吸を4回ほど)を自分にプレゼントするだけで冷静さを取り戻す事ができます。
しまった。ふと気づいた時に、4回ほど深呼吸すればよかった。