忘れ物が訴えている?
最近、驚く事がいくつも起こります。困り事が、不思議に解消されるのです。
例えば、
「しまった。カメラを忘れた。記録に残さなければいけないのに!」
→担当でもないのに写真を撮っていただいている方がいた。
「困ったな。荷物を乗せる時だけでも雨が止んでくれるといいのに。」
→準備をしているうちに雨が止んだ。
「待機中では仕事にならない。妻一人では大変だ。」
→休む子が多く、一人で対応できる人数になった。
「誰か、助けてくれる人はいないかな。」
→適任者からメールが届き、依頼ができた。
「これでは、お迎えの時刻に間に合わないかな。」
→迎えの車が、遅れて到着し、間に合った。
誰かが私が心の中でつぶやいている事を聞き入れ、困らないように助けてくれているように感じます。
小さなことですが、願いが叶います。
信仰心が強い訳ではありません。むしろ無宗教で、信仰心がない私ですが、これだけ続くと、自分を超えた力を持った存在があるように思えてなりません。
これは、神様の仕業だという人がいるかもしれません。
私にも神様がついていて、私を守っていてくださるのかもしれません。
自分を超えた力を持った存在が、支えていると考えると、何事にも前向きになれます。
この存在が事実、あるなしに関わらず、願いを達成するという視点から考えると、この後ろ盾となる存在がかなり役に立ちます。
願いを叶えるために
「私には、後ろ盾がついているので、願いが叶わないはずはない。」と思いながら、日々の努力を重ねる事ができます。
偶然に起きるた出来事でも、偶然ではなく必然にする事ができます。
「だって、私には後ろ盾がついているから、こんな事もある。」と考え、後ろ盾立てに感謝しながら、願いを叶える方向に一緒に歩いている実感を得ることができます。
願いを叶えるために一人でコツコツと努力し続ける事は、なかなか大変です。
でも、その努力が、後ろ盾を創り出したと考えれば、努力の甲斐があります。
願いを叶えるための一番強力な協力者を得る事になります。
そこで、
「偶然起きた出来事で、見過ごしている出来事はないだろうか。」
「願いとは無関係に思える事でも、偶然起きる出来事はないだろうか。」
と、後ろ盾をより強く実感できるための出来事を探してみました。
偶然の出来事は、想像以上にたくさんある事に驚きました。
・私自身の存在・・・・・・・両親から生まれた私は偶然の産物
・結婚、就職、起業など・・・偶然が重なり、導かれた感じ
・置かれた立場・・・・・・・望んで得たというより推された感じ
・周りの環境・・・・・・・・既に存在し、活躍の場が与えられた感じ
この偶然の上に今の私がいると考えると、
「生かしてもらっている。」
「感謝しきれない多くの支えをもらっている。」
「私には強い味方(後ろ盾)がついている。」
そんな気持ちになりました。益々努力したくなりました。
そして、入院中の父への感謝の気持ちが湧き上がり、無事退院できるように祈りたくなりました。