大谷選手から学ぶ
濃厚接触者となり、自宅待機となり、実家で生活をする時間が長くなりました。
「今日は、何をしようか。」と、悩む日を過ごしています。
年末という事で、年賀状を作る作業もしましたが、次が出てきません。
部屋にはテレビもなく、パソコンとiPadを持ち込んでいますが、動画を見たり、ゲームをしたりと暇つぶしをしている時間が長くなりました。
これまで、毎日忙しく働いていたので、休養をとるようにとの神様からのプレゼントと思って、十分楽しめばよいのでしょうが、入院した父の事を考えると、そんな気分にもなれません。
充実した生活を送りたいと思っていますが、ほど遠い生活です。
充実している時は、目的をもち、その目的達成のために精一杯、体を動かしたり、考えたりしています。
そして、そんな日は、1日を終える時に、「よく頑張った。明日も頑張ろう。」と自分に声をかけ、気持ちよく就寝することができます。
昨晩は、眠くなったから眠た感じです。
朝一番に始める事になったコラム書きですが、ネタがなかなか見つからず、時間だけが過ぎていきます。
こんな時に役立つ事は、自分を見つめる事かと思いました。
そこで、いつもと違う見つめ方をしてみようと思いました。
・百年までの時間を横軸に取り、縦軸には充実度を取ります。
そして、過去から未来に向けてどんな曲線が描けるのかを考えてみました。
山あり谷ありの人生だから、きっと正弦波のような曲線ができるだろうと思っていましたが、違いました。
常に充実した時間を過ごしている自分があり、充実度が下がる事がありません。
嫌な事があってもその嫌な事から逃げる事なく、誠実に向き合っていると充実感で満たされていました。
いじめに遭い悩んでいる時の自分も逃げていません。自分のあり方を見つめようと必死に生きていました。この時の充実感は、楽しい出来事から得られる充実感よりも質が高い感じがします。
瞬間瞬間をみると、充実した時間とそうでない時間はあったのだろうと思いますが、百年という長い時間で考えてみると、それは大した時間ではないように思えてきます。
記憶に残っているのは、充実感で満たされている時間ばかりでした。
そして、この私ならば、これから先、どんな事が起きようとも、充実感をもって生きていく事が、容易に想像する事ができました。
充実感に満たされて生きていく自分を見つめた時、何と幸せな自分だろうと思えてなりません。
苦も充実感を味わうネタになります。
このように考えると、身の回りに起きる全ての出来事が、充実感を味わうネタになるように思えてきます。
しかし、ここで1つの疑問が生まれました。
「なぜ、このような生き方ができるのか?」
その答えはよくわかりませんが、
・他人に責任転換する自分よりも、自分のどこに問題があるのかを問う自分の方が強いこと
・人と一緒にいる自分よりも、一人でいたがる自分の方が強いこと
・飾る自分よりも、素を見せたがる自分の方が強いこと
・逃げる自分よりも立ち向かう自分の方が強いこと
いろいろな自分が活躍して、充実した生活を作ってくれたと思うと、何となく、やる気がじわじわと湧いてきました。
「今日も充実した生活になるから心配しないで。」と、「今日は何をしようかな?」と悩む自分に言い聞かせました。