単純さに飽きる自分
新しく入会した会の懇親会がありました。会が始まる前に、受付で、輪番制で懇親会の幹事をする事と、次回の担当になっている事(2人幹事のうちの1人)を知らされました。
楽しみにしていた懇親会でしたが、目の前に現れた課題(次回の懇親会を幹事として成功に導く事)が頭から離れません。
幹事の仕事が気になって、幹事の方の動きを観察したり、次回の打ち合わせをしたり、これまでの幹事の仕事内容を参加者に尋ねたりと、懇親会が、情報収集の場となってしまいました。
これまでにいろいろな会で、幹事をした経験があるので、不安があるわけではないのですが、この会にふさわしい幹事の役割を果たすためには、必要なことだと考えて、この時間を過ごしました。
この情報収集があったおかげで、初めての方ともこちらから話をすることができました。
何が幸いするかわかりません。
かなり情報を集める事ができ、次回の幹事を務める心の準備ができました。
そして、幹事2人の仕事分担も終え、いつでも準備に取りかかる事ができるところまで進める事が出来ました。
とても充実した時間になりました。
起きる出来事には、何らかの意味が隠されているように思います。
出来事を何の価値判断をせず、ただ受け入れる事ができれば、ストレスにはなりません。
ストレスがないので、制限がなく、自由に考えることができます。
情報収集の場として役立てようと積極的に自由に動けたのもストレスがなかったからだと思います。
次は何が起きるのだろうとワクワクしていました。
その後、日程調整を始める事になりました。
予定期間の中の幹事2人の調整をしただけでも、懇親会開催可能な日が、3日に絞られました。日程調整表を渡しながら、順番に確認していくと次第に日数が減り、残すところ1日だけになりました。
最後の確認は、欠席された方のみです。
祈るように電話をしました。
残された1日の都合を尋ね、「空いている。」との返事を頂いた時には、何とも言えない喜びが湧き上がってきました。
祈りが通じたと思いました。
何か大きな力が、助けてくれている感じがします。
振り返って見ると、会の皆さんが、日程調整表を見ながら、全員が揃う日を作ろうとの思いが働き、ご自身の都合を調整されていたのかもしれません。
また、欠席された方も都合があったかもしれませんが、この日しかないと思われ、調整されたのかもしれません。
このように考えると、次回の懇親会も成功させたいという皆さんの願いが一つになり、大きな力となったように思います。
願いが叶うという事は、この力を生み出す事かもしれないと思いました。
(自分の努力だけでは願いは叶わないけれど、後押しをする力が働けば、願いが叶うのではないか。私たちの日々の努力は、この後押しの力を得るための努力かもしれません。後押しが大きければ大きいほど大きな願いが叶うように思います。)
次回の懇親会の成功のために精一杯準備しようと、意を強くしました。