愛国心は郷土愛から
国会中継がテレビで流れていました。そこでは、「新しい資本主義」についての質疑がなされていました。
利益の分配についての考えを、新しい資本主義と社会主義の違いに絡めて質問されているのを聞いていて、疑問が湧き上がり、質問したくなりました。
「それ程こだわらなければならないことなのかなあ。
みんなが幸せになれば、どのような考え方をしてもいいのでは? 」
私たちは誰もが幸せに生きていきたいと願って生きています。
でも、その幸せを感じて生きている人は、どれほどいるのでしょう?
それに、一人一人の幸せ感は、異なります。
・お金持ちがみんな幸せかといえば、そうでもなさそうです。逆に貧乏な人が皆不幸せかと言えば、そうでもなさそうです。
・物が豊富にあれば幸せかと言えば、そうでもない気がします。
・力や名誉があれば幸せかと言えば、長く続く事はなく、これも違う気がします。
幸せの公式があるわけではないように思います。
と考えると、国会で論議されている事は、幸せを追求する議論ではなく、不幸な人を少しでも減らすための議論のように思えてきました。
そして、今の日本には、国民一人ひとりが自由に幸せを追求することのできる幸せがあることに気付きました。
ただし、この幸せは、自分で勝ち取ったものではなく、過去の辛い体験を乗り越えて、先人の努力によって生み出されたものです。
当たり前のように胡座をかいていると失ってしまうかもしれません。
世界を巻き込んでいるロシアの軍事侵攻や北朝鮮のミサイルの脅威など、自分の力では変えられない大きな力が働いているため、この不安を拭いきれません。
そして、
「この大きな力に巻き込まれないためにも、今の自分にできる事は何か?」
と、新たな疑問が出てきました。
熟考して思い浮かんだ事は、
「自分を見失わない事」
でした。
「本当に大切にしたい事は何だろう?」
「どんな自分なら幸せだろう?」
「今している事が、本当の自分が求めている事なのだろうか?」
などと、本当に大切にしたい自分を見失わないように生きていきたいと思いました。
日々の忙しい現実とは異なる「国会中継」を見る事も、結構役に立つものです。