コラム
最後に残るのは、ありがとう?
2022年11月22日
認知症が進行している父と会話をしながら、
「忘れることは、何と素敵なことだろう。」
と、思う事がよくあります。
先日も、転倒し、肋骨を骨折した父が、
「胸が痛いけどどうしたのか?」
と、尋ねてました。
痛みを感じる身体の反応はあるもののその痛みの原因となる記憶が失われている状態です。
私が骨折したとしたら、記憶を利用して、行動を見直したり、その時の気持ちを思い起こしたりしながら、二度と起きないように考える事になります。
思考をいろいろ巡らしながら毎日の出来事に対応していれば、疲れるのは、当たり前です。
穏やかに生きている父をみると、急か急か毎日を生きている自分に見えてきます。
考えてみると、もっと自由に生きられるはずなのに、記憶に残っている事が制限を加えているように思えます。
強すぎる価値観もその一つです。
信仰心の篤い父でさえ、今に至っては、信仰心は、生きる上で大切にしているものではなく、信仰して身についたものだけが役立っています。
こだわりなく、全てを受け入れている感じさえします。
記憶に頼るのではなく、今、目の前に起きる出来事を幸せとつなぎながら生きていけたら、その方が生きやすいように思います。
その時、今必要なのは、父が、毎日口にする
「ありがとう」
のように思います。
感謝の気持ちを感じながら、毎日を過ごしたいと思います。
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