知らないことさえ知らない
韓国で起こった雑踏事故で、多くの若者が亡くなりました。深い悲しみと共に、集団のもつ力の大きさに恐怖を感じました。
「場の雰囲気」という言葉はよく使いますが、それが大きな力をもっているという実感は、あまりありませんでした。
事故前の映像が何度もテレビで流されていました。
波のように動く人々様子をみると、ここには大きな力があり、この大きな力が人を操っているようにも見えます。
ハロウィンを楽しむために集まったにも関わらず、個々のいろいろな思いが絡まり合って、異様な力(エネルギー)を作り出した感じがしました。
この事があってから、場のもつ力(エネルギー)を意識してみる事にしました。
振り返ってみると、私の周りに、新しい知恵を生み出すエネルギーを感じる場や、穏やかな雰囲気を醸し出す温かいエネルギーを感じる場や批判が多い怒りのエネルギーを感じる場などがあります。
居心地が良い悪いと感じるのは、その場のもつエネルギーに反応しているのかもしれません。
昨日も、批判の多い怒りのエネルギーを感じる会に参加しました。
一人の批判的な発言が、別の批判の発言を生み、要望の声を上げさせ、全体とかけ離れた個別の問題まで飛び出させる会議です。
司会者も大変苦労されていました。
私は、気持ちが悪くなり、その場から早く抜け出したい気持ちになりました。
場の雰囲気を変えたくて、挙手して意見を述べようと試みましたが、議事の進行上、時間がないという司会者の言葉で、手を下ろす事になりました。
場のエネルギーに押し出された気がしました。
休憩時間が入り、場の雰囲気が変わりましたが、何となくどこかに怒りのエネルギーが残っているようにも感じました。
何とか気分を変えて会議を終える事ができました。
今回の経験から、
場が創り出すエネルギーは、一人ひとりの意識の持ち方によって、現れるエネルギーの種類が、異なるのではないかと考えました。
目的が明確で、同じ方向に向いている時には、健全なエネルギーがもたらされ、意識がバラバラで向きが揃っていない時には、邪悪なエネルギーがもたらされるのかもしれません。
そして、場の雰囲気に飲まれないためには、場の雰囲気を読み、その場が生み出すエネルギーを感じることが必要かもしれないと思いました。
これからは、邪悪なエネルギーが現れる場にあっても、影響を受けないように強い意思を持って、その場に臨み、場に飲み込まれないようにしようと思いました。