完璧な自分だと思い込む
炊飯器からご飯を茶碗に装う時、ふと「いつから白米を食べるようになったのかな?」と玄米を食べ始めた頃の事を思い出しました。
1袋20キロの玄米を購入し、この重い袋を車で、精米所に運び、精米機の3分づきを選び、精米します。そして、精米されたお米を炊いて、ご飯を食べていました。色は何となく茶色っぽく、真っ白ではありません。
味は、特に美味しいとは思いませんが、気になりません。
玄米と白米の栄養価を比べると断然、玄米の方が良いことはわかっています。
美味しさは、白米の方が上です。
健康的な生活を送るには、玄米を食べ続けた方がよいので、その生活を続けていました。その事はわかっていますが、今は、白米を食べ続けています。
20キロの袋は運ぶのが大変です。5キロの白米の袋の方が楽です。
このような「苦を避け、楽を求めること」を暮らしの中で見つけることが簡単にできます。
・300mほどの距離に実家があるのですが、車で移動する事が多い。
(早く着く。荷物を持って歩くのが大変だ。)
・探し物をするとき、妻に「どこにあるか、知らない?」と声をかける。〈一緒に探してもらうために〉
(早く見つかる)
・資料をすぐにファイルせず、ポイと机の上に置いておく。
(面倒だ。時間がない。後でまとめてやった方が一度で済む。)
よく考えると、「楽」の裏には、「損」がついている事に気づきます。
車での移動→ 丈夫な足腰を作る機会を失っている
探し物 → 妻の時間を奪っている
資料整理 → 部屋の綺麗さを奪っている
ということは、「苦」の裏には、「得」が隠れている事も容易に見つけることができます。
歩く → 丈夫な足腰
自力で探す → 妻の時間の確保
部屋の綺麗さを保つ → 気持ちよさ
物事を一面だけで見ていると、大事なことを見失ってしまうかもしれません。
物事の裏表、善し悪しに気づくと、ちょっと生活が変わってくるように思います。
車での移動→ 時には、歩いていこうかな。
探し物 → 直ぐに頼らず、まず自分の力で探して
資料整理 → 一度机上を整理してから、挑戦してみようかな。
ついでに
ネットで、5キロの玄米の販売を発見
「たまには、玄米も食べてみようかな。」