自己流になっている
多様性の時代といわれ、今まで弱い立場の人々が、声を上げ、社会の中で認められることが増えてきました。
私は、このことから、日常生活を根本から見直す時期が来たように感じています。
物事を決定する時に多数の意見が尊重され、多数決で決めることがありますが、この「多数決」に疑問を感じるようになりました。
よく、「時間がないから多数決で決めよう。」と、多数決を急ぐことがあります。
こんな時、少数意見の側の立場になると、多数決で決定した事について、
「仕方がない。我慢しよう。」
「民主的に決めたから、決定に従わなければならない。」
と思うことがあります。
少数意見の尊重とはいわれますが、現実的には、我慢を強いられる事になっているように思います。
少数意見の中にも、多くの知恵があり、少数意見を生かす事で見方を広げる事ができます。
相手の立場を尊重して、少数意見をどこまで取り入れて、決定するかが、その場の質の高さになるように思います。
限りある時間の中で、自分の意見を主張するばかりでなく、相手の意見を聞きながら、新しい考えを生み出す努力をしながら議論を進める事が、大事なように思います。
お互いの正義を主張し合っていても対立を生むだけです。
お互いに寄り添う努力が、必要です。一方だけが、努力しても対立の芽は消えません。
お互いが、新しい考えを生み出す努力をして初めて生まれてくるように思います。
この考え方は、ロシア侵攻によって始まった民主主義と先制主義の戦いを終わらせる考え方につながると思います。
また、個人の中にある「葛藤」を終わらせる考え方にもつながると思います。
私たちの心の中には、自分を否定をしている自分もいれば、自分を肯定する自分もいます。
一方が強すぎると生きづらくなります。
例えば、ネガティブな生き方は、自己否定が強すぎた結果のように思います。また、傲慢な生き方は、自己肯定感が強すぎた結果のように思います。
多様性の時代だからこそ、こんな見方・考え方が、自分の外や内の世界に広がり始めた感じがします。
多様性は、私たちが幸せに生活するために見逃せない大事な考え方のように思います。