感情が湧き上がる前に
いじめは、いつでも、どこでも起こりうる
この事を聞いて、どのように思われるでしょう?
例えば、
「いじめを許さないと頑張っても仕方がないのでは?」
「見えないところでも起きるのだから、手の打ちようがない。」
「それならば、いじめはなくならないのではないか?」
と、悲観的な見方をする方もいるかもしれません。
逆に
「だから、誰もがいじめを許さない気持ちで立ち向かわなければならない。」
と、意を強くされる方もいるでしょう。
「いつでも、どこでも起こりうる」・・・それは、私たちの心の中に「いじめたい心」があるからです。
他人の姿をうらやましく思って、他人の失敗を喜んだり、告げ口したりしたくなることはないでしょうか。
人から辛く当たられて仕返しをしたいと思うことはないでしょうか。
ストレスが溜まって、八つ当たりしたいと思ったことはないでしょうか。
これらは、皆いじめにつながるきっかけになります。
それらの行動をした後にどんな気持ちが沸き上がるのでしょう。
例えば、
「しまった。言わなければよかった。」
「悪いことをしたな、謝ろう。」
と後悔し、対応を変えることができれば、いじめにつながることはありません。
つまり、「いじめたい。」と思って、ついやってしまっても、それを食い止めてくれる自分がいるから、相手がいじめと感じる前に解消できます。
しかし、それとは反対に
「これは、いい。またやろう。」
「すっきりしたから、これは役に立つ。」
などと、いじめを助長するような気持ちになったとすれば、態度を改めるよりも引き続き、同じ行為をしてしまいます。
こうなると、いじめにつながる行為を食い止めることができず、相手がいじめと感じることになります。
自分の中に「いじめたい自分」と「いじめを許さない自分」があり、そのどちらかを選択する「もう一人の自分」がいます。
この「もう一人の自分」が、どちらを選ぶかがとても重要になります。
誰も失敗することはあります。いじめも同様です。
いじめは許さないと言っている自分であっても、いじめてしまうことがあります。
「失敗をしてはいけない。」ではなく、「失敗を次のよい行動につなぐ。」ことが、重要です。それを選択してくれる「もう一人の自分」の役割が重要です。
いじめを許さない自分だからこそ、「もう一人の自分」が活躍してくれます。
失敗を取り戻すことができます。
そして、「もう一人の自分」がもっと強くなれば、「いじめたい」と思ったときに、「いじめる代わりになる行動は?」と新たな対応を提案してくれるかもしれません。
このようにこの「もう一人の自分」が、とても重要な存在になります。
これは、いじめに限ったことではありません。
何かを習慣化したいとき、目的を達成したいとき、ストレスを解消したいとき・・・私たちの行動に変化をもたらしたいときに必ず役に立ちます。
自分の中に葛藤するA(~したい)とB(~すべきだ)の存在は誰もが意識できます。その時、A(~したい)を選ぶか、B(~すべきだ)を選ぶかという選択をするとき、勝ち負けで選択することが多くあります。A(~したい)が勝ち、B(~すべきだ)が負けると、B(~すべきだ)は、我慢することになります。逆にB(~すべきだ)が勝ち、(~したい)が負けると、A(~したい)は、我慢することになります。
このように、AとBの2つの心で見ていると、常に負けた方が我慢している状態です。
そうではなく、AとBの両方を俯瞰するCの存在を意識し、AとBをうまく生かす立場を作ります。
これが「もう一人の自分」になります。
どちらを選んでも必ずうまく両方を生かすことを考えるCです。
私たちは、知恵を使って難問を突破しています。
AとBの両方を理解しながら、うまく対応を生み出すCが本当の自分なのです。