ハナコ先輩が嫌われ恐怖を抱えたわけ

高澤信也

高澤信也

テーマ:アダルトチルドレンと家族

子育て感情セラピストの高澤です。


かなり前のこと、まだ企業に勤めていた頃ハナコさんという先輩がいました。
ハナコさんはとにかく「嫌われること」に超がつくほど敏感。



人からほんのちょっとそっけなくされただけでも

「私、嫌われてる?」
「なんで?何が悪かったの?」
「また嫌われた…」

といった『思考』を鵜呑みにして嘆く_| ̄|○
そんなことはしょっちゅうでした。



でもそれって完全な思い込み。別に誰からも嫌われてはいなかった。



だけどハナコさんはどうしても人の振る舞いを否定的・悲観的にしか推測、解釈できない。だからずっとつらい。



嫌われる恐怖が強いあまりいつも無理して「いい子」のニコニコ仮面で人に接する。だから誰も嫌な扱いなんてしない。



それでもハナコさんは話しかけた相手が目を見てくれなかっただけで
「私、嫌われてる…」
と捉える。



仕事で必要な指摘をされただけでも
「この人にも、嫌われてるの?」
なんて思って不安になる。



生きづらいのも当然っちゃ当然です。



なぜ彼女はこんなふうになってしまったんでしょうか。
ここに子ども時代の体験が大きく関係しています。



親から、、、

・あからさまに嫌悪されたり
・きょうだいと比較され批判されたり
・自分以外とだけ楽しそうに話したり

なんてのがあったなら「私は嫌われてる」と信じても無理ないですね。
だけどハナコさんは違ったんです。



「親はいい親だったよ」
「ちゃんと愛してくれたし」
「大切に育ててもくれたし」
って。



もちろん虐待もない。



これ、不思議じゃないですか?
親から無条件に愛されて愛着が育っているなら

「私はこの私でいい!」
「人は信頼できる仲間!」
「世界は安全な居場所!」

と信じているはず。



なのにハナコさんは自分の価値を信じられず、人の言動をネガティヴに解釈しては不信感を抱き、素の自分でいられる居場所も持っていなかった。



「愛されてきた!」
「良い親だった!」

これが事実ならこんな現状に至る確率はめっちゃ低いはずです。



なのにそう固く信じている。それってなぜ?どうして?



ここに隠れているのが








条件付きの愛情!




別名「見えない虐待」



あるとき打ち明けられたハナコさんの子ども時代の実情はこんなものでした。



一方の親はひどいことは何もしないけどそもそも褒めない。自分のことで手一杯。
物理的には存在するけど情緒的にはいないも同然。



確かにもし両親ともにこんな風なら「私は好かれない」と思い込んでも合点が行きます。
だけどハナコさんの家はそうではなかったようで。



もう一方の親からは「いい子!いい子!」と繰り返し褒められた。「かわいい」「大事」と何度も言われた。だから子ども時代のハナコさんは「私は愛されてる」と思った。

もとい、正確にはそう「思い込んだ」。



しかしどんなときに褒められたのか?子どもが何をしたときに喜んだのか?
それは、、、







==========
親の意向に沿ったとき
==========



今ちまたでもっとも氾濫しているのに、ほとんど気づかれていない現代型の情緒的虐待がこの『期待の押し付け』。



たいていの親は子どもを期待で縛ってるつもりは皆無も皆無、全くありません。
周りからもそうは見えません。
なんなら「愛しすぎる親」と言われるほど。



だけど子ども目線で考えてみましょう。



子ども自身の望みとは無関係に

「こうあってほしい!」
「こうしてほしい!」

「こうあってほしくない!」
「こうしてほしくない!」

と親の意向に沿うことを明に暗に期待される。



頑張ってそれに応えると親は喜ぶ。
応えきれないとガッカリされる。スルーされる。
時にはやさしくダメ出しされる。



その一方で親の意向と無関係なときはさしてハナコさんと情緒的に接するわけではなかった。



たとえば、、、

「今日は学校どうだった?」
(うんうんと笑顔でうなづいて20分でも30分でも話を聴く)


「ハナコはそれが好きなんだね♪」
(子どもの“らしさ“を喜ぶ)


「したいことしていいよ^^」
(子どものニーズを応援する)


夫婦ゲンカでもめたとしても
「これは親の問題なんだよ。
お前は悪くないから気にしなくていいよ」
(親の責任と子の責任を切り分ける)


こんな些細な、だけどとても大切な“日々の情緒“はほとんどもらえなかった。



ハナコさんじゃなくてもこんなことがちょいちょい繰り返されたら子どもはこう決めますって。


「私は親の期待に応えたとき“だけ“愛される」



それ、すなわち


親の期待に応えないと
私は愛されない!!




これがハナコさんが知らぬ間に抱えていた嫌われ恐怖の大元の地雷。
子ども時代にこんな決断をしたまま大人になったらどうなるでしょうか。



「人の期待に応えれば私は愛される」
ということは
「期待に応えないと私は愛されない」



これを真実と思い込み、社会で生きていかねばならない。



だけど人間には限界があります。
全ての人の期待に応えるなんてできるはずもなく。
下手するとたった一人の期待にすら応えることができない。



それって実は自然なことなのに、その度に発動する
「期待に応えないと私は愛されない!」
という心の地雷。



それがつらいあまり地雷が爆発しないよう必死で
*人の期待に応えようとする
*人のお役に立とうとする



その動機づけは相手への愛がベースではなく、嫌われる恐怖がベース。
だから人の中にいても全然リラックスできない。
ほんの少しそっけなくされただけで動揺する。



相手が感じのいい応答をしてくれないと、たとえば笑顔じゃなく真顔や仏頂面だと、平気なフリしても内側はぷちパニック。



そんな状態だから、、、

必要以上に交感神経系が覚醒
(闘争逃走モード)

思考は機能不全

平穏時ならできることも
テンパってできなくなる
(行動がとっ散らかる)



結果的には・・・

・人の期待に応える
・周りのお役に立つ

なんてこととは
真逆状態を引き寄せる
^^^^^^



頑張るほどに悪循環。。。



だからいっそのことその生き方をやめればいいのにそれでもやめられない
・人を喜ばせる努力
・相手の期待に応える努力



そうやって心をすり減らしながらこの社会で生きていく。
中にはそれで燃え尽きてしまう人も少なくありません。
当時のハナコさんもまさにそうでした。



このままだとさすがにつらい!どうにかしたい!



でもだからと言って

「自分を大切に!」とか
「自分を愛そう!」なんて

上滑りした言葉はスローガンにはなっても大した助けにはなりません。



ハナコさんも「自分を愛する!」をスローガンに頑張ってましたが、当時は結局燃え尽き。。。



ではハナコさんは以降もそのままだったか、、、
というとさにあらず!!



やるじゃん!
先輩!!



見事復活されました(*≧∀≦*)



いったい彼女はどうやって復活したのか?



それは!







今日は長くなりましたので
次号で続きをお届けしますね。



乞うご期待(^-^)>

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高澤信也(心理カウンセラー)

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