子どもの心はどんなふうに育つ?
こんにちは。
子育て感情トレーナーの高澤です。
テレビやネットでニュースでは
毎日のように虐待に関する報道が
流れています。
なかには辛辣な虐待をして
逮捕される親も存在します。
そして時折目にする言葉が
「しつけのつもりだった」
とうていこのセリフを
容認することはできません。
「しつけなわけない!」
と叫びたくもなります。
でも不思議ではありませんか?
誰がどう見たって「しつけ」とは
言えるはずもないことを真顔で
言う人たちが存在することが。
「それくらい子どもでも分かるでしょ!」
なんて言いたくなりませんか?
でもそのセリフを言うのは
特定のたった一人ではありません。
報道でもこのセリフを見たことは
一度や二度ではないですよね。
複数の人たちが同じセリフを
苦にしているわけですから、
そこに何かしら共通の理由があるはずです。
明確な虐待的な行為を
わざわざ「しつけ」と言う
目的はいったい何なのでしょうか。
否認システム
人間には誰しも
・見たくない自分
・あると認めたくない自分
が存在します。
それから目を逸らすことを
「否認」
と呼びます。
たとえば
傍から見れば明らかに
アルコール依存だと分かるのに、
本人は頑なにこう言ったとします。
「仕事のストレス解消で飲んでいるだけ!」
「お前がうるさく言うから飲みたくなる!」
「コンビニで売ってるのがよくない!」
「辞めようと思えば明日にでも辞められる!」
しかし実生活に影響が出ているなら、
このセリフは「否認」を意味します。
実は虐待にもこの否認は存在します。
虐待はアルコール依存以上に
「望ましくない行為」
であることが明確です。
そのぶん余計に
否認できる理由が必要です。
人には防衛本能がある
こう考えてみると
分かりやすいかもしれません。
親が子どもを虐待すると、
ほぼ100%の確率で周りだけでなく
無関係の第三者からまで強烈な
批判のシャワーを浴びせられます。
もし誰からも責められなくても、
「バレたら責められる」
という思いはたいていの人が抱えています。
もしそれが露呈したときには
まるで世界中から
「お前が悪い!」
という集中砲火を浴びているかの
ように感じることもあります。
こんなとき人はたまらず
自分を防衛しようとするものです。
もしここで逆の
「私は悪くない!」
が達成できれば、、、
・自分は責められる必要がなく
・責める側が問題であって
・私は被害者
という図式が成り立ちます。
これができれば
防衛は成功です。
「私は悪くない」を達成する戦術
では人が「私は悪くない」と
思いたいときには何をするでしょうか?
たいていやることはひとつです。
それは
・
・
・
*「自分以外の何者かが悪い」
ってことにする
たとえば
・ギャーギャー泣くあの子が悪い
・私を子育てに縛り付けている
あの子が悪い
・言うことをきかないあの子が悪い
etc.
ここを前提にすることができれば、
「叩いたのはしつけのため」
はある意味正論になります。
あの子が悪い
↓
このままではよくない
↓
改善の必要あり
↓
言ってきかないなら
力づくしかない
↓
↓
↓
だからこれは
「しつけ」である
なかなか理解が難しい
ところかもしれませんね。
当事者の声から見える真実
私も子どもを虐げる行為は
大嫌いです。
容認なんてできません。
しかしそれをしている
当事者(親)の声を聴いていると、
違った景色が見えてくるんです。
それはこんな仕組みです。
・機能不全家族で育った
↓
・自己肯定感が育たなかった
↓
・年を経て親になった
↓
・「自分みたいにしちゃダメ!」
「だからちゃんと育てなきゃ!」が過度になる
↓
・でも子どもは思い通りにならない
↓
・不安、恐怖、焦り、恥など
苦しい感情でアップアップ
↓
・しかし自分で鎮めることができない
↓
・子どもを「思い通り」に動かすことで
感情を鎮めようとする
↓
↓
↓
それがときに虐待行為になる
この流れはここで終わりません。
まだまだ悪循環はつづきます。
↓
・子どもに虐待行為をする
↓
・そんな自分を肯定できない
↓
・自己肯定感がさらに下がる
↓
↓
↓
上述の悪循環に戻ってループ
まだまだほかの悪循環を
生み出す流れも存在します。
↓
・子どもは思い通りにならない
↓
・苦しいけど感情調整ができない
↓
・虐待行為
↓
・周りから責められる
(世界中から責められる気すらする)
↓
・恐怖でいっぱいいっぱい
↓
・防衛システムが起動する
↓
・「私は悪くない」戦略で
身を守ろうとする
↓
↓
↓
それがときに
「あの子が悪い」
「しつけでやっただけ」
に至る。
どの道を通っても
逆境だらけのいばらの道です。
解決の第一歩は「否認」をやめること
先の悪循環を根本レベルから
解決しようと望むなら、
いろんなことに取り組んでいく
必要が出てきます。
*安全感を身体にインストール
*感情調整スキルの習得
*前提の見直し
*自己肯定感の育て直し
*子ども時代の傷つきの処理
などなど
こういった取り組みを通じて
自分を受容できるようになり、
感情調整できるようになれば、
親自身がぐっと楽になっていきます。
その親の変化成長が、
子どもに生きやすさを
伝えていくことができます。
虐待の連鎖ならぬ・・・
/
★幸せの連鎖!
\
ですね。
そのための第一歩とは何か?
それは、、、
・
・
・
「私が子どもにしていることは決して望ましくない」
「虐待と言われてもしょうがない」
「これは子どもの問題ではなく、自分自身の課題」
と認めること。
つまりこれが
*否認をやめる
という意味です。
否認はその場の
痛み止めにはなっても、
そこに頼りきりになると
親子の不幸はずっとつづきます。
怒らない自分を目指す前に、
「良い子育て」を学ぶ前に、
*勇気を出して否認をやめる
ここから始めてみませんか?
近しい人にできること
上で述べたように、
批判すればするほど
防衛システムは作動します。
ある親御さんがわが子を
怒鳴ったり叩いたりする場面を
見聞きするのは周りの人間に
とっても痛みを伴います。
すぐにでも止めたくなります。
しかし、
周りからの批判は
「私は悪くない!」という
防衛システムを起動させる行為、
と言えなくもありません。
恐怖におののけば、
たとえ大人であっても
身を守ることが最優先になります。
もしあなたの身近に
子どもを虐げている人がいるなら、
その人を責める代わりに、、、
「そうしたくないのに
やってしまう窮状」
に耳を傾けてみてください。
何に困り、
何ができなくなっていて、
わが子を傷つけたくないのに
そうなってしまう理由は何か。
そんな人が周りに一人でもいれば、
そこが安全基地となり、そこを
起点に人は回復の道を辿れます。
虐待を減らすためには
その人を批判するのではなく、
その人がそれをせずに済むような
サポートを提供する必要がある。
それが大事だと思っています。