子どもを叱りすぎたときの罪悪感を見直してみました。
こんにちは。
子育て感情トレーナーの高澤です。
今日のテーマは
正義中毒克服大作戦です!
明日のブログにアップ予定の記事を
こちらに先行掲載しました。
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さて、突然ですが
あなたにはこんなことありますか
「あの人間違っている!」
「あの人おかしい!」
「あの人許せない!」
そう思っては腹が立つ、
そんなことはないでしょうか。
私たちは人それぞれ価値観が違うので
他の人が正しいと思っていることでも
「それ違うよね」と思うことはよくあることです。
それ自体は特に問題ないですよね。
だけどもしそうなる頻度が高すぎるとか
それによって日常生活に支障が出てるとか
「正したい欲求」に負けて実力行使に出るとか。
そうなると
かなりの黄色信号です。
こんな状態を
正義中毒
と呼ぶそうです。
確か脳科学者の中野信子さんが
著書の中でそう言っていたと
記憶しています。
正義中毒に陥ってしまうと
まず自分が疲弊してしまうし、
人間関係の衝突も増えるだろうし、
単純にとっても生きづらいと思います。
ということで
何とか克服したいところなんですが
これがなかなか難しい。
なぜなら自分が正しいと信じ、
相手に怒りが湧いている時は、
感情だけではなく脳も身体も
過剰に興奮しているからです。
これがいわゆる
Fight or flight(戦うか逃げるか)
システム。
本来これは脅威にさらされた時に
自分と自分の大切な存在を守る
ための防衛システムです。
しかし正義中毒の場合は
自分や大切な存在を守るためではなく、
自分の「正しさ」に電光石火的に
反応しているにすぎません。
それで争いになってしまえば
本末転倒なお話です。
なぜかって?
だって防衛システムで
攻撃していることになりますよね。
それって身を守るための盾で
突然相手をぶん殴っているようなもんです。
ではどうやって
正義中毒を克服していけばいいでしょうか。
ということで今回はそれを達成するための
独自のメソッドをご紹介します。
名付けて
/
*「べき」リサーチ&リセット法
\
やり方をお伝えする前に
大事な仕組みだけ一つお伝えしておきます。
私達が人に怒りを覚えている時は必ず
相手に対して何かしらを要求しています。
その要求度合いが強ければ強いほど
怒りの感情も強まっていきます。
その最たるものである絶対的要求が
「べき」(should、must)
です。
ということは
正義中毒システムが発動している時とは
相手に対して強烈な「べき」が出ている時。
これこそが
正義中毒を支える根底にあるものです。
これを踏まえて
正義中毒克服大作戦に取り組んでみましょう!
1 怒りの感情に気づく
↓
2 気づいたら自分の中の「べき」を探索する
↓
3 見つかった「べき」をノートに書き出す
↓
4 上記の1~3をしばらく繰り返す
↓
5 べきをリスト化する
↓
6 リスト化した「べき」の程度を
最低でも3人(できれば5人)に確認する
↓
7 「べき」をほどほどレベルに見直す
作戦は以上です。
ただしここで
上記の6に関する注意点が一つ。
「べき」の程度を人に確認する時は
次のような人は避けてください。
●何を言ってもイエスという人
●人から嫌われたくない気持ちが強い人
●自分の意見がない人
なぜならこういった人に尋ねても
賢明な答えが返ってくることは
ほとんど見込めないからです。
では実際にどんな風に進めるか。
カナさん(仮名)の事例で見てみましょう。
カナさんは自己中心的な人が大嫌いです。
例えば先日の電車内でのこと、
目の前に妊婦さんが立っていたのに
平然と優先席に座っている人がいて、
許せないという気持ちが湧いてきて
思わず睨みつけたそうです。
この時カナさんは
自分の怒りに気づいていました。
ということで
次に自分の「べき」を探索しました。
その結果見つかったものは
「絶対に人に迷惑をかけてはいけない!」
でした。
「べき」が見つかったので
これをノートに書き込みました
(数日同じことを繰り返しましたが、
ここでは割愛します)
ノートに「べき」を書き込んだので、
これが適度なのか過剰なのかを判断するために
今度は5人の友人に意見を聞いてみました。
5人とも自分の意見を持っていて
それを率直に言ってくれる人達です。
尋ねた結果
返ってきた答えはこんなものでした。
●一人目
「そうだね迷惑は私も良くないと思う。
絶対にかけちゃだめだと思うよ」
この答えにカナさんはホッとしました。
●ところが二人目
「いやいや、迷惑かけないって無理じゃない?
だってカナだって約束ドタキャンしたことあるし
PTA の役割1回もしなかったでしょ?
それで迷惑かかった人いると思うし」
今度はしょんぼりなりました。
●続いて三人目
「迷惑はかけない方がいいけど、
悪気はなくても迷惑かけちゃうことあるし、
迷惑かけられることもあるんじゃないかなぁ」
この答えでちょっと考え込みました。
●今度は四人目
「迷惑はないに越したことはないけど、
絶対にとか100%とかはさすがに無理じゃない?」
今度は
確かにそうだなぁと思いました。
●最後の五人目
「迷惑かどうかってその人の価値観次第でしょ。
だったらこっちが迷惑って思ってても
相手はそう思ってないこともあるだろうし、
逆に自分は迷惑って思ってないことでも
相手は迷惑って思ってることもあるだろうし。
そう考えると結局お互い様ってことじゃない?」
これを聞いたカナさん、
自分の価値観との大きな相違に
思わず「う~ん」と唸りをあげました。
その後5人の意見をもとに
自分なりにリストに書き込んだ「べき」を
考え直してみた結果、カナさんの認識は
こんな風に変わっていったそうです。
「迷惑をかける人はやっぱり嫌いだけど
私がその人をコントロールできるわけではないよね」
「だってもし気づかないうちに
自分も人に迷惑をかけていたとして、
その相手から『お前が悪い!だから変われ』って
言われても変われない気がする」
「それなのに自分だけが相手に
『べき』を押し付けているとしたら、
さすがにそれは不当なのかもしれない」
「迷惑かける人が嫌いなのは変わらないけど、
だからといってそれを人に押し付けるのだけは
ちょっとずつでいいから止めて行こうと思う」
以上、カナさんの事例でした。
ではこの一回きりで
カナさんの正義中毒は克服された?
と言うとそんなことはありません。
自分の怒りに気づき、
自分の中のべきを探索し、
見つかったものをリストに書き込み、
それを周りの人たちに聞いて回る。
それを何度も繰り返しているうちに
自分の正義に対する認識の極端さに気づき
徐々に弱まっていったという感じです。
正義中毒克服のポイントは
価値観が合わないものは合わなくていいし、
受け入れたくないものは受け入れなくていい。
そこに無理は必要ないということです。
ただ自分とは違う正しさを持っている人に
自分の正しさを押し付けない
ことが大切です。
ここだけの話ですが
私なんてカナさん以上に
人がする迷惑行為が大っ嫌いです。
車で走行中
マナー違反の人見るたび、
車内でぶーぶー言うとります( ̄▽ ̄)
正義中毒と言えるか否かの境目は、、、
自分の信じる正しさは尊重しつつ、
相手の信じる正しさには介入しない。
その違い一点ではないかと思っています。
価値観も突き詰めれば
後天的な考え方の癖に過ぎません。
自分や周りを助ける価値観は尊重し、
逆に苦しめる価値観は見直していく。
その繰り返しによって
徐々にではあっても着実に
正義中毒は克服できるものです。
もしあなたが
ぜひ克服したいと願うなら、
この取り組みをやる価値はあると思いますよ。
そんなあなたの健闘を祈っています!
一方で端から
そうなることを望んでいないなら、
この記事はガン無視してくださいね(^^)v