子育ては母親の責任?
こんにちは。カウンセリングオフィス トリフォリの高澤です。
今日のテーマにある「ジャッジメント」とは批判や評価という意味です。それをしないことを「ノンジャッジメント」と言います。それは単純に「責めない」以上の意味を含んでいます。
子どもへのジャッジ
よくあるのは子どもの失敗やよくない行動などを叱ること。行為を叱るならまだ良いのですが、それが行きすぎて人格にまで踏み込むとちょっと問題です。
たとえば、子どもが同じ失敗を何度も繰り返したとします。その時にAという行為は望ましくないのでBという行為に変えてほしいと伝えることは必要です。じゃないと、ダメ出しされただけで具体的に何をどう変えればいいかわからないままですから。
しかしそれが行きすぎて、Aという行為を人格にまで広げて「あなたはダメ」「悪い」「間違っている」などと全体的に広げて批判士てしまえば、子どもは誤って「自分がダメ」と認識してしまうかもしれないのです。
理想的な子育ては難しくても、人格にまで広げて否定することはぜひとも避けていただきたいと望むばかりです。
ノンジャッジメント
ノンジャッジメントは責めない以上の意味と冒頭で書きました。
人が人をジャッジするとき、そこには必ず「良・悪」「正・否」といった判断基準が存在します。
たとえば勉強を「良し」とする人は、勉強そっちのけで遊ぶわが子を「良くない」と判断するでしょう。一方で遊ぶことを「良し」とする人は、遊びには目もくれず勉強するわが子を「良くない」と判断するでしょう。
このようにジャッジメントとはその人が何をマルと見なし、何をバツと見なすか次第。そこにはそもそも「正解」なんてもの自体存在していないのです。
したがって「ノンジャッジメント」とは、良くないものを否定、批判しない、、、という意味ではなく、そもそもそういった【価値判断をしない】という意味になります。
では判断する代わりに何をすればいいか。
それは
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★今ここで起こっている事実を価値判断せず、ただ「事実である」とそのまま認識すること
たとえば、「うちの子は今日朝9時から夕方5時まで公園で友だちと遊んでいた。学校の宿題は何もしていない。」のように事実をただ認識すること。
これがノンジャッジメントです。
ノンジャッジメントを育てる
「悪い」「間違っている」はジャッジですが、「良い」「正しい」も同じくジャッジです。何かにマルをつければ、その反対には自ずとバツがつくのは当然の結果なのです。
子どもの頃からずっと価値判断に慣れ親しんできた私たちが、それを手放すことは容易ではありません。とても難しく、とても大変です。
ですが、取り組むだけの価値はあります。
*何かを「良い」「悪い」などと判断している自分に気づく
*そしてそれは「事実」ではなく「ジャッジ」であることに気づく
この2つに気づくことができれば、ノンジャッジメントに1歩も2歩も近づけます。それに役立つ言葉を最後にご紹介します。度々になりますが、これまた敬愛するお釈迦さまの言葉です。よかったら参考にしてみてください。
【ダンマパダ】50
「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ。」