子どもの心はどんなふうに育つ?
こんにちは。
たかざわです。
今日は行政の某機関にてお子さんのことで悩む親御さんがたの相談の日でした。
不登校やひきこもりなどが主なテーマです。
わが子の現状に「親が」困っている。
でも「子ども」は動いてくれない。
だからなんとか動いてもらおうと試みる。
だけどやればやるほど悪化していく。
そしてある時行き詰まる。
悩みの大半はこんな感じです。
「できない」ということ
いつの世も親はわが子にできることが増えるたびに喜びをもらえるものです。
這えば立て
立てば歩めの親心。
子どもの成長はいつも嬉しいものです。
しかし、先のような問題で悩む親御さんたちは、わが子がよそのお子さんにできていることができなくなって嘆いています。
できなくなっていることとは
たとえば
・朝起きて夜寝る
・衛生を保つ
・身だしなみを整える
・外出する
・人と会う
・あいさつする
・返事をする
・人に話しかける
・会話をする
・人と一緒に過ごす
・役割を担う(家事、学校、仕事)
ほかにもたくさん。
親御さんはこう嘆きます。
わが子はこんなことも
「できない」
本人たちもこう言います。
じぶんには
「できない」
わが子は「できない」と思う親。
じぶんは「できない」と思う子。
こうして事態は膠着します。
ほんとにできない?
でもこの言葉、少し変なんです。
本来「できない」という言葉は、物理的にとか、発達的にとか、構造的にとかできない状態を指すはずです。
私たちは何の道具も使わず空を飛ぶことはできませんし、3歳の子は100キロの荷物を抱えることはできませんし、耳で食べ物の味を味わうことはできません。
しかし先ほど述べた「できない」の内容はいずれも実際にはできることばかりです。
つまりそれは
「できない」
のではなく
「しない」
という選択をしているということです。
なのに「できない」と言っている状態とは、まるで何者かにコントローラーで操られていると言っているようなものです。
そして親御さんも同じ言葉を使っている。
「できない」と「しない」。
これは些細な差のように感じられるかもしれませんが、「主体性」や「自立性」という点から見ると、実は天と地ほどの差があります。
言葉が世界をつくる
たかが言葉。
されど言葉です。
私たちは言葉の世界に生きています。
言葉の使い方ひとつで物の見方、感じ方、振る舞い方、ひいては人間関係の持ち方にまで影響を与えたり受けたりするものです。
親業の目的はいつの世も
自立
ではないでしょうか。
自立のために
どんな言葉を子どもに使ってもらう必要があるか?
私たち親はどのような言葉を使う必要があるか?
些細なようで、意外に大切なポイントだと思います。
「できない」ではなく「しない」
「言えない」ではなく「言わない」
「行けない」ではなく「行かない」
ほかにもまだまだありそうですね。
たとえば
「やるかやらないか」だけのことを
「やろうと思っている」とか。
要は、私たちは何者かに動かされている客体としての存在ではなく、何に対しても
"自ら選択"
する主体的な存在です。
親である私たちがその言葉に惑わされることなく主体的な言葉を使っていくことで、子どもの主体性も徐々に育っていくことでしょう。
そのためにはまず私たち親(大人)が、自分を語る時に「できない」などと言うことなく、「しない」といった主体的な言葉に書き換えていくことから始めたいものですね。
もちろん勇気は要りますが。
それでも愛するわが子のため。
ちょいと頑張ってみる価値はあると思います。