罪悪感を消せないあなたへ③

高澤信也

高澤信也

こんにちは。
たかざわです。

前回の質問
「タイムマシンでその瞬間に戻れるとしたら、あなたはどうしたいですか?」
への答えは出たでしょうか。

「過去と他人は変えられない」
という言葉があります。

罪悪感とはまさにこの「変えられない過去」に縛られている感情とも言えます。

変えられないのに苦しい。

そのままではあまりにもしんどいことでしょう。

なぜ悔いるのか?

今回は質問の前にひとつ一緒に考えてみたいことがあります。

それは
「そもそもなぜ『今』悔いているのか?」
ということ。

後悔するくらいなら、前回の質問の答えをその当時に実行していればよかっただけの話です。

私の例を前々回のコラムに書きましたが、子ども時代に私は殴られる母を助けたかったわけですから、だったらそのとき助けていれば悔いは残らなかった。

つまり罪悪感を引きずることはなかったわけです。

でもこの主張、違和感ありませんか?
お気づきになりましたか?

そうです。
子どもの私には親のケンカを止めることなどできないし、母という「大人」を助けるなんてことはそもそも子どもにはできないことなのです。

当時の自分と現在の自分

それなのに過去を振り返って罪悪感を覚えるのはこんな理由があるからです。

私たちはその当時より成長しました。
あのときは気づけなかったことに"今は"気づけるようになりました。
あのときはできなかったことが"今は"できるようになりました。

そう、私たちはあの当時より経験を経たことで成長したのです。

その成長した"今の自分"で当時を振り返るから
*こんなこともできたのに
*あんなことも言えたのに
と過去を悔いて罪悪感を生むのです。

人はいつだって最善

人などんな時にも
「今の自分にできる精一杯」
を生きているという見方があります。

そうなんです。
今の自分で見れば罪悪感を覚えるあの当時の体験も、"その瞬間の自分"にとっては
「精一杯」
だったのです。

ここでようやく今回の質問です。

【"当時のあなた"にあのとき以上のことができたでしょうか?】

たとえばあるおかあさん。

子どもがぎゃあぎゃあと泣くとパニックみたいになっては怒鳴ったり叩いたりしていました。

行為としては許容できるものではありません。

でもこのおかあさん、その当時は自分の親から事あるごとに責められ、夫からの協力は得られず、地元を離れていたため心を開ける友人もいない。

そもそも人が怖いから子育ての会なんてものにも参加できない。

とうてい感情のコントロールなどできず、助けも得られず、そんないっぱいいっぱいのなかで余裕なく子育てをなさっていたわけです。

わが子への暴言暴力はあったにせよ、それ以外の部分では必死に子育てしていたわけです。

つまり
「この当時」
ではこれが限界だったということです。

彼女は限界ギリギリまでやっていた。
つまりそれが最善だったわけです。

あなたはどうでしょうか?
罪悪感を引き起こす過去の出来事のなかで、本当にその当時の自分に「あのとき以上のこと」ができたでしょうか?

それが当時の限界であり、最善であったのなら、これからは自分を責めることをやめて、当時の自分をゆるし、ねぎらい、慈しんであげてほしいと願っています。

自分という永遠に切り離せない存在を、どうか大切にしてあげてください。

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高澤信也(心理カウンセラー)

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