問題を根本から解決するために親だからこそできること

中光雅紀

中光雅紀

テーマ:解決のための視点

目 次

1.根っこまで掘り下げなければ解決策は見えてこない

2.この子の問題ではなく、わが家の問題

3.問題への対処の仕方こそが改善すべき問題

4.親だからこそできることは?

5.生まれたまま、ありのままではダメですか?

6.幸福感が最も安心を与える

7.親だからこそわが子を救えます

根っこまで掘り下げなければ解決策は見えてこない

私の講演や講座などには、時折当事者家庭以外の教育現場や、相談現場に関わっている方などの

参加があります。

そういった方々の講演の感想を聞いておりますと、それまで感じていた不登校やひきこもりに

関してのイメージとかなり違ったということをよく聞きます。

それは、不登校やひきこもりといった現象が起こる根っこの部分に焦点をあてた話が多いから

だと思います。

とかく、不登校問題は「どうやって登校を促すか」「どのくらい刺激しないでいた方がいいのか」

とか、ひきこもりは「どうしたら働くのか」「病院へも連れていけないしどうしたらいいのか」

などの話題に終始しているようです。

それらのことを考えるためにも、どうしてわが子がこうしているのかの意味、理由が分かって

いなければ的確な答えは出ません。

この子の問題ではなく、わが家の問題

そもそも「ひきこもり」とは何かを先ず考えてみましょう。

一般的には、過保護による甘え、病気でおかしくなった、変わったところでは「霊にとり憑かれて

いる」と占い師や宗教関係者から言われたなどがあります。

甘えと見れば、説教、勘当騒ぎとなりますし、病気と見れば、治すのは薬であり医者。

本人が診療を受けなければどうにもならない。

霊の仕業であれば神頼みで終わってしまいます。

では実際はどうなのか。



病気は子どもたち本人ではなくむしろ家族の方だということです。

不登校もひきこもりも家族病理の症状として現れています。

子どもたちは、ひきこもるという行為で家庭の病理を治療しているのです。

とり憑かれているのは霊ではなく、連綿と続いてきた家族、一族の“しきたり”という呪縛です。

家族としての機能が果たしえていない「機能不全家族」という表現がありますが、それよりも

「多問題家族」といったとらえ方の方が実態を端的に表していると思います。

不登校、ひきこもり、ニートの症状が出る家庭には、複数の改善を要する問題を抱えている

ということです。

複合的にそれらの問題が重なり、それがわが子の逸脱行動に集約されたということです。

ですから、「わが子のひきこもり(不登校)が解決したら、わが家は全て問題無しか?」と問いかけ

てみるといいんです。

そうでないことが必ず分かりますし、その他の問題の中に、わが子のひきこもりの原因が見えて

きます。

問題への対処の仕方こそが改善すべき問題

私自身の家庭も含めて、問題の無い家庭はありません。

要はその問題に気づけたか、どう対処したかがまさに問題なのです。

また問題は、機が熟してこそ表面化します。

子どもが学校に通っているから、働いているから何も問題無しということにはなりません。

「子どもを問題児と見られたくなかったから相談にも行けなかった」ということを聞きます。

子どもたちは問題児ではなく、わが家の問題、課題を教えてくれる存在です。

子どもたちが問題を提起してくれることで、それまで気づけなかった、気づかないふりをしていた

家族関係が浮き彫りになります。

子どもたちが示してくれることに真摯に向き合うことで、わが家がより安らぐ場所、和みあえる

空間となるのです。

親だからこそできることは?

そいいった状態の中でも、家族にできること、親にしかできないことがあるのです。

親にしかできないことは何だと思いますか?

これに対しての答えは、子どもたちが親に求めているものは何か、親だからこそ与えられるものは

何かを考えてみるといいでしょう。

親に求めているものは?

生活の支えでしょうか?

子どもたちが訴えるものには、ひとつに「関心」があります。

「もっと自分に関心をもってほしい」というものです。

何を考え、何を感じ、何に関心をもっているのかに関心を示してほしいと。

多くが干渉であり、問いかけが審判するための尋問になってしまっています。

生まれたまま、ありのままではダメですか?

またひとつには、「承認」があります。

「自分を信頼してほしい。期待してほしい」というものです。

ここで言う自分は、“ありのままの自分”です。

干渉や尋問になってしまっては、「おまえを信頼していない。親の言うとおりにしていれば期待

してやる」というメッセージを与えてしまいます。

期待にかなわなければ認めない、愛さないというのは“条件つきの愛情”です。

ありのままの否定です。

子どもたちは、そのままでは自分というものに価値がないと認識してしまいます。

そこから完璧主義などの自己破壊的生き方がそなわります。

幸福感が最も安心を与える

それから親の幸福といったものもあげられます。

逆から言えば、親の不幸を見たくないということです。

親の笑顔を見て育った子どもは、情緒的に安定しています。

そこは何者からも危害を加えられる恐れのない安全な場所だと認識します。

安心は緊張のない状態です。緊張が続けば、心は硬直化し柔軟性を欠き、些細なストレスにも過敏

になります。

親だからこそわが子を救えます

親だからこそ与えられるものは、他でもない父親から受け取りたい、母親から受け取りたい

といった内容のものです。

同じものでも与えてくれる相手によってその意味合いは変わってきます。

「お父さん、あなたに強さや潔さを学びたい」

「お母さん、あなたに私を最後まで信じて受け止めてほしい」

これらの訴えは、まさにお父さん、お母さんでなければ叶えてあげられないことを示します。

不登校やひきこもりにわが子がなれば、やれ医者だ。やれ薬だと早々に判断してしまう前に、

もう一度親だからこそできること考えてみませんか?

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中光雅紀
専門家

中光雅紀(不登校・ひきこもり支援者(家族心理教育コンサルタント))

NPO法人地球家族エコロジー協会

トラウマの視点からひきこもりの原因を見える化していくアプローチを行い、そのもがきのプロセスから人間としての成長を果たし、ひきこもりから脱却。新しい自分に生まれ変わるような変化をサポートしていきます。

中光雅紀プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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