わが子の心がねじれる時
目 次
1. 役割を担う意識の欠如がニート、引きこもりを生む
2. 自分にすら関心ももてなく、やりたいことが見つからない
3. 仕事の本質は人のお役にたつこと
4. 働きが与えてくれる生きる意義
5. 「ありがとう」の言葉が心を育てる
役割を担う意識の欠如がニート、引きこもりを生む
1999年イギリスで「ニート」という言葉が生まれました。
学習や職業訓練も受けない、仕事もしないという若者たちを指す言葉です。
さらに社会生活を送らず閉じこもっているのが「引きこもり」ですね。
ニートや引きこもりを考えるとき、役割認識の欠如ということがひとつの視点として
浮かび上がってきます。
道徳性心理学の分野で、『役割取得能力』『社会的視点取得能力』と言っているもの
があります。
これはそれぞれ、相手の立場に立って考える能力、自他の欲求や考えを理解し、それ
らを関係づける能力のことです。
特に相手の立場に立って考えるという行為は、「思いやり」とも言えます。
自分の役割を全うし、相手の役割を手助けできることが、"お役に立つ"ということ
です。よく「人様に迷惑をかけない子に」ということを聞きますが、迷惑をかけさえ
しなければそれでよいのでしょうか。
さらに一歩進んで、役に立つようにと何故もっと積極的に考えられないのでしょうか。
お役に立てるようにという教育が親から与えられていないために、「思いやり」の
ない子供達が増えてきているようです。
自分にすら関心ももてなく、やりたいことが見つからない
よく「自分のやりたいことが見つからない(分からない)」と言う若者たちがいます。
それが見つかってから動く。なんてことをしていてはいつまでも見つかりません。
ですから、「何でもいいからやりたい事をやりなさい」は、引きこもり者たちには
禁句です。そんなこと言おうもんなら、かえって落ち込ませます。
それが分かっているならそもそも引きこもっていないんですから。
うっかり言うと、「うん、だからゲームやってる」と返されてしまいますよ。
自分の欲求すら分からないでいる。そもそもそれ自体が問題です。
いかに自分に関心をもっていないかです。
もちろん、自分自身に関心をもたせるような関わり方ができていなかった親自身
が反省しなければならないことです。
わが子を敬っていましたか?
愛してはいたでしょう。
ですが、敬意をもって接していましたか?
子どもは所有物では決してありませんし、自由意志を尊重していましたか?
仕事の本質は人のお役にたつこと
自分がやりたいことが分からない間は、人の役に立つことを徹底して行うことです。
より広く(多くの人に)役に立つためには、高い志をもって活動している人に協力する
ことです。
社会生活は、「お互いさま」と「お蔭さま」の世界です。
黙って座っていても誰かに迷惑をかけています。ですから、謙虚さをもって寛容に
接し、してもらっていることに感謝する。報恩感謝の姿勢が大切です。
そうして「傍(周囲)を楽にしていく」それが、「はたらく」ことの本質です。
感謝の気持ちを行動に表すことが役に立つということです。
役に立つために自身の強みを考えることで、適性に気づけます。
苦手なことでは役に立つことは難しいですよね。
自身の中で、よりうまくできること、得意なこと(強味)でこそ役に立つことが
できます。ですから、役立とうと思えば、自ずと適性に気づけるのです。
より役立っていくことで、強みをブラッシュアップすることができます。
働きが与えてくれる生きる意義
「家庭は社会の縮図」とは言い古された感がありますが、家庭の中で、なんら役割
(家事労働)を与えられず育った子どもたちは、役割を担う(役に立つ)ことでの充実感
も体験せぬまま、自分の存在の確証を得られず、社会への参加を拒むのでしょう。
専業学生にしていませんでしたか?
仕事は、自分に社会的な役割を与えてくれます。
その日から、立場と責任を与えてくれるのです。
それは、存在意義(アイデンティティ)を与えてくれるのと同じです。
存在価値を得られるのです。これはとてもありがたいことです。
引きこもりの増殖の背景には、健全な仕事観が身についていないことがあると
感じられます。
「ありがとう」の言葉が心を育てる
親から子へ「ありがとう」という機会は、何かをしてもらうことでしか作り出せ
ません。
「ありがとう」の言葉は、相手の存在への絶対肯定の言葉です。
「ありがとう」のシャワーを浴びた子どもたちは、健全なアイデンティティ
(自己存在意義)を構築でき、自己開示、自己表現が出来るように育ちます。
わが子に「ありがとう」を最後に言ったのはいつですか?
相手の側に立って気持ちを考えることができなければ、役に立つことなどできません。
共感と利他心が自己を向上させてもくれるのです。
相手の身になって考えることができるか否かが、人としての成熟度を示します。
未成熟故に、社会という大海原へ飛び込む覚悟ができないでいるのでしょう。