行動の裏にある「愛されたい」という情念
引きこもりや不登校の問題を解決していく際には、対症療法ではなく、原因(根本)療法を
行っていくという視点が重要です。
前回述べたように、「原因は知る必要がない」という対応では、自ずと対症療法にしか
なりません。
薬で熱や血圧を下げるのと同じで、病根がそのままであれば、その場しのぎにしかならず、
再び繰り返します。
過去に不登校を経験した者が引きこもりになったり、引きこもりから一度社会に入った
ものの再び引きこもったり、40代以上の引きこもり者の中には、これまで長年社会人
として就労し、家庭をもっている方たちもいることを見ても、それが分かると思います。
では、どうしていけばいいのか?
本人は、現状から脱却し、より良くなっていくための新たな取り組み、変化を起こしていく
ことに対して、強い怯えがあります。
そこに向かうためには、勇気が必要です。
その勇気を引き出すためには、親、家族の「理解」と「共感」と「承認」により安心感を
与えてあげることが必要なのです。
前回ひき者らが抱えている苦悩の中身について述べました。
自分は役立たずで誰からも求められない恥ずかしい存在であるという〈恥辱感〉
生きていく意味すら感じられない、虚しく、退屈である〈空虚感〉
どうすることもできない〈無力感〉
これらを先ず理解し、同じ目線で共感してあげることが大切です。
そして、ありのままに生きていていいんだと、存在を承認してあげることです。
抱えている痛みに寄り添い、その苦悩を共に解消していくという目標を親子で
一致させ、具体的な行動を示していくことが求められるのです。
そのことで、絶望を希望に変えていくのです。
事態をいきなり変えようとしない
解決のための取り組みを始めても、途中で頓挫してしまうケースが少なくありません。
そうして、新たなはたらきかけが行われないまま長期化し、私どものような支援機関に
来られます。
これは、事態をいきなり変えていこうとしたからです。
事態はそれまでに、かなり膠着した状態になっています。
ですから、そこをいきなり変えようとしても無理があります。
ひき者からの強い抵抗、反発が出てくるのもあたりまえです。
ではどうするのか?
親が先ず、事態に対してどういう姿勢・態度で臨むかを主体的に変えていくのです。
姿勢・態度が変わることで、現状自体には変化がなくても、そこから受ける影響が
変わってきます。
わが子の不登校、引きこもりを受け入れられず否認したり、ましてや「本人のやる気の
問題だから」と人ごととして問題を回避していては、事態が改善されるはずもありません。
これは支援者サイドにも見受けられることでもあり、「お子さんを信じて見守りましょう」
といった経過観察という名目の放置も問題回避のひとつです。
このアドバイスにならないアドバイスで、どれだけの「8050問題」を誘因してきたこと
でしよう。
まさに有害な救済で、該当する支援者(? )は、猛省すべきです。
事態に臨む姿勢・態度を変えるには?
姿勢・態度をどう変えていくのか?
先ず現状を捉える視点です。
「この子」の問題ではなく、「わが子」の問題です。
わが子は私の子ですから、問題の主体は、自分、親自身だという自覚をもつことが重要な
ことなのです。
その自覚がもてれば、わが子を動かそうとする、動き出すのを待つではなく、先ず自分
たちが動いていくこと、変わっていくことから始めていくでしょう。
価値観を変えて自分を変える
引きこもり(不登校)の改善のためには、それまでの価値観の転換が必要です。
なぜなら私たちは、自己の価値観に基づいた行動をとっているからです。
価値観のどこかが誤っていた結果、現状を招いてしまっているのです。
今のわが子の在りようは、それまでの両親の価値観の総和です。
「親が変われば子が変わる」と申しますが、どう変われば、何をどう変えればいいのかが
分からないでいる方が多いようです。
「人が変わったようだ」といった表現もありますが、同じ状況下でも、これまでとは違った
受け止め方(認知)や行動をした時にそう表現しますね。
受け止め方が変わるのは、価値観が変わってこそです。
親が変わるためには、自身の価値観を変えていくのです。
価値観の見直し、アップデート
価値観を変えていくためには、先ず「知る」ということです。
価値観は、何がより価値あるものなのか。意味や意義があるのかを測る基準となるもので
あり、「ぶれない自分軸」となるものですから、とても重要なものです。
何を「知る」のかと言うと、意味、意義、重要さを知るということです。
自身の価値観により、何ものかを他より優先させていますので、優先させたことで何がどう
なったかを冷静に見極めるのです。
もちろん、より良くなっていれば問題ないのですが、困った事態になっているとうことは、
価値観がどこか誤っているということですからね。
例えば学歴偏重主義でいれば、子育ては、勉強が最優先となります。
親子の触れ合いよりも学業を優先させるでしょう。
そうなると、親子の間で愛着の問題が生じます。
後回しにしていたことの中に、わが子にとっては優先させるべきものがあったのです。
何でも程の良さが大切です。程よい加減ということです。
過ぎれば、正しくとも歪みます。
その辺りの見極めも大切です。
私たちは、自己の認識の範囲でしか物事を考えられません。
ですから、新たな価値観をもてるためには、認識を拡大していく必要があります。
それが「知る」ということです。
仏教の言葉で、知に暗いことを「無明(むみょう)と言い、苦悩、不運の元としています。
言い得て妙ですね。
「人生の目的は?」「生きる意味は?」「自己存在価値は?」
こういった内容を自身に問い直し、答えにつながる新しい認識を広げていくのです。
わが子はまさに、その意味を見失っているのですから。
知恵が高められてこそ、現状の苦境から脱することができます。
幸福感につながる価値観を是非得てください。