歴史を活用した“まちづくり”の難しさ
「まちおこし」は作品ではないので“パクリ”と表現するのは本来は違うと思いますが、昨今の「まちおこし」イベントは類似のものが氾濫するようになっています。
コスプレや地元グルメ、鳴子を使った踊りを含めどこかで注目を浴びると全国あちらこちらで同じようなイベントが開催されます。
こういったことを言うと、「日本全国に盆踊りや縁日などどこにでもあるじゃないか」と反論されることがありますが、昔から行なわれている祭りは、収穫や宗教的な意味合いを持っていたり、地域の風土・風習に基づいているものであり、日本という国に住む民族的な活動に対して、「まちおこし」は地域活性化を経済的なプロモーション活動として捉えた『イベント』と化しているところに違いがあると言えます.
他でやっていて、盛り上がっているようなので地元でもやってみよう・・・というのは悪い話ではありません。しかし、その地域にとっての必然性がなければただのイベントに終わってしまうのです。
何十周年記念イベントということで、地元の人たちに喜んでもらうために著名なキャラクターパレードを企画しても誰も否定はしないでしょう。
「まちおこし」として継続して自分たちの暮らすまちを活性化させていきたいと考えるのであれば、違った選択肢があるのかもしれません。他の地域でやっているイベントと同じようなものを企画したとしても、まちおこしにおいてはオリジナルを超えることはまずできません。
ではどうすれば自分たちのものにすることができるのでしょうか。
それは自分の地域で行う意義や意味を考えてその延長上でしっかりと“カスタマイズ”できるかどうかに掛かっています。
なんとなく形だけつくって、似て非なるものを行うのではなく、「ここだからこうなったんだ・・・」と感じられることができるかどうかが重要なポイントとなります。
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