東洋医学とは何か 41 -漢方排除が鮮明になった明治12年の医師試験規則-
◇東洋医学とは何か 81 薬草治療(漢方薬治療)とは何か(3) 生薬の組み合わせは天文学的 病態に沿った処方が体系化されていないため教育伝承が困難 薬草治療を使いこなすには治験の生理とAIが不可欠◇
こんにちは、京王線新宿駅から特急2駅目約15分の調布駅前にある清野鍼灸整骨院院長清野充典です。当院は、京王線調布駅前で、鍼灸治療、瘀血治療(瘀血吸圧治療・抜缶治療・刺絡治療等)、徒手治療(柔道整復治療・按摩治療等)、養正治療(ヨーガ治療・生活指導)等の東洋医学に基づいた治療を、最新の医学と最先端の治療技術を基に行っています。京王線東府中駅徒歩3分の所に、分院・清野鍼灸整骨院府中センターがあります。
清野鍼灸整骨院HP http://seino-1987.jp/
◆◆ 日本の伝統医療は、江戸時代「本道」と言われていましたが、明治時代に近代医学が導入されてから「本道」は「漢方」と言われるようになりました。「漢方」とは鍼灸治療・瘀血治療・柔道整復治療・薬草(漢方薬)治療・あん摩治療・食養法・運動療法等を指します。◆◆
私は、「鍼灸を国民医療」にする事を目的に、東京大学、早稲田大学、順天堂大学等の日本国内を始め、海外の様々な大学や医療機関の人たちと研究を進めています。明治国際医療大学客員教授、早稲田大学特別招聘講師や様々な大学・学会での経験をもとに、患者様や一般市民の皆様に東洋医学のすばらしさを知って戴く活動を行っております。
東洋医学は、当院で行っている鍼灸治療、瘀血治療、徒手治療、養正治療と薬草治療で構成されています。79回から、薬草治療について書き始めました。私は、薬を扱うことが出来る医師や薬剤師ではありませんので、薬草(生薬)に関する歴史(医学史)研究をしている立場で、書いています。
79回は、日本における薬草治療の現状について書きました。日本では、1884年(明治時代)に薬草治療が途絶え、1985年に漢方薬が保険調剤となったものの医学部で薬草(漢方薬)の教育がされるようになったのは2000年以降だという話です。つまり、薬草治療を行ってきた歴史は長いものの、近年においては、教育が十分行われておらず、研究も進んでいないため、江戸時代末期の様な高い水準の医療にはなっていないという話でした。
80回は、中国における薬草治療の現状について書きました。中国では、中華民国建国時の1912年に薬草治療が途絶えましたが、中華人民共和国建国(1949年)5年後の1954年に、43年ぶりに国家医療となりました。1644年の清朝に途絶えた按摩治療、1801年には消滅していた接骨治療、1822年に禁じられた鍼灸治療も、中国伝統医術(TCM)として復権したという話です。
中国医学では、1に鍼治療、2に灸治療、3に薬草治療という考えがありますが、灸治療は唐代にはすでにあまり行われておらず、鍼治療も10分の1程度で、殆ど薬草治療が行われていました。漢の時代に整備された薬草治療は、長い間、中国国内で主要な医療です。
しかしながら、中国の薬草治療は、欧米では食品扱いであり、世界的には医療と認められているとは言えません。中国、韓国や日本で使用されていますが、まだまだ十分に研究されておらず、治療法として確立されていません。医師の立場からすると、病気に対する治療法が確立されていないので、薬の選択が出来ないと言えます。
今回は、漢方薬について、少し踏み込んだ話をします。知らない言葉が沢山出てきて、眠くなると思いますが、繰り返し読み返しながら少しずつ前へ読み進めて戴きたく思います。
そもそも薬とは何か。漢字の「薬」は、草冠(かんむり)に楽という字の組み合わせです。草冠は、草の事です。楽には「細かく切る、刻(きざ)む」という意味があります。くすりは「草煎(くさいり)」から変化した言葉とされています。草煎りとは、草を煎せんじることです。草とは植物の事です。
植物は、古代から世界中様々な地域でくすりとして利用されて来ました。紀元前4000年頃、メソポタミア文明を築いたシュメール人たちが残した粘土板の書物には、すでに数多くの植物の名が薬用として記されています。
古代ギリシャの薬物学者ペダニウス・ディオスコリデスによって著した世界最初の薬学誌『マテリア・メディカ』は、西暦100年頃とされています。その内容は、自ら採集した薬草や用法です。
日本では、紫式部をはじめ平安時代の女性たちが熱心に参詣した奈良の長谷寺(はせでら)や一夜にして巨大な曼荼羅図(まんだらず)を織り上げたという中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説で知られる當麻寺(たいまでら)等の寺では、さまざまな薬草を植え、女性用のくすりとして使っていたと言われています。
動物が植物を利用して病気を治そうとすることは、自然の流れと言えます。
中国で現存する最古の伝統医術本である『五十二病方』には、52の疾病名・外傷名があり、各々に治療のための処方が記されています。挙げられている病名は100種を超え、それらは内科・外科・産婦人科・小児科・精神科に至るまで多岐にわたります。薬物は240数種書かれ、処方の数は283方を数え、それらは薬物によるものを中心とし、ほか外科療法として薬物塗布・入浴・燻蒸・局部温熱療法・鍼灸・按摩・角(瀉血)、石針による治療、切開手術が見られます。 そこで用いられている主な薬は、酒です。春秋戦国時代は、お酒を薬として用いていたようです。酒の原料は、植物です。
「医」の正(漢)字は「醫」という字です。「医」と「殳」と「酉」で構成されています。
「医」の中にある「矢」は、矢尻の事ですが、鋭利な石のことであり、「針」の意味です。「匚(はこがまえ)」は、箱を意味します。治療をする際、鍼灸治療は同時に行う治療と考えられていたので、「医」は箱に入れた鍼灸治療をする際の道具を表しており、鍼灸治療のことを意味していると思われます。
「殳」は病人が横たわっている姿です。
「酉」は「さんずい」を辺に付けると「酒」です。「さんずい」は「水」の意味です。当時、水は停滞すると濁って不衛生なので、文字を書くときは「水」を表す「さんずい」を書かない習慣がありました。そのため、「酒」と書かずに「酉」を使ったと考えられます。
「醫」の字は、病人を鍼灸治療や薬(酒)で治すことを意味している文字だということがわかります。
中国では、薬に用いる植物の事を、生薬(しょうやく)と言います。医薬の神様を「神農(しんのう)」と言います。伝説上の神様ですが、中国最古の薬物書は 『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』と言い、神様の名前が付いています。生薬のことは、別名「本草(ほんぞう)」と言います。この本草書に書いてある生薬が、学問上、中国、朝鮮や日本で行ってきた薬草治療の基になっています。
本草書が始めて書かれたのは、1~2世紀です。最古の中国医学体系書と言われる『黄帝内経素問』『霊枢』よりも少し後の時代です。
『神農本草経』全4巻には、365の生薬が書かれています。
上薬 120種
中薬 120種
下薬 125種
です。上薬は、命を養う効果があり、毒はなく、大量に服用しても、長期間服用しても害することはないとしています。中薬は、身体を養うのに効果はあるが、無毒の時も有毒の事も有るので、考えて用いるべしとしています。下薬は、病気を治すことが主であり、毒性があるので、長期間服用してはいけないとしています。
全ての食品に毒はありますので、毒がないという記載には違和感を覚えますが、当時はそのように考えていたのだという事が分かります。生薬を365種にしたのは、1年の日数に合わせたのだと思われます。人類史は長いので、食べて具合が悪くなった植物や死に至る植物は徐々に分かっただろうと思います。植物の名前、味、効能を整理したのは、素晴らしい着眼点だったと思います。生薬の中には、水銀(Hg)や硝石(硝酸カリウム・KNO₃)なども含まれており、書物の有用性については疑問符が付きます。
『神農本草経』の作者はわかっていません。薬物の神様・神農が、名もない人に乗り移って作った書物かもしれません。
少し時代が下り3~4世紀には『名医別録』が作られました。植物(葉・根・茎・花)はもちろん、鉱物、昆虫、動物生薬など563種の生薬の効能や使用目標などが掲載されています。作者は不明です。 原本は失われていますが、後世原文が推定され、内容が把握されています。しかしながら、内容が二番煎じであるため、 あまり注目されなかったのかもしれません。
代表的な本草書を列記します。
紀元前 『五十二病方』 240数種
1~3世紀 『神農本草経』四巻 365種
3~4世紀 『名医別録』 563種
492~500年『神農本草経』三巻 750種
500年頃 『神農本草経集注』七巻 730種
659年 『新修本草』二十巻 850種
974年 『開宝重定本草』二十巻 984種
1061年 『嘉祐補注神農本草』二十巻 1084種
1108年 『経史証類大観本草』三十一巻 1744種
1116年 『政和新修経史証類備用本草』三十巻 1784種
1578年 『本草綱目』五十二巻 1903種
『神農本草経』4巻が書き表されたのは、1~2世紀頃です。それから時代が下り、どんどん生薬の数が増えています。後世の人が、いろいろなものを薬として用いていたことがわかります。
『本草綱目』は、明の李時珍が著作しました。35歳ごろから26年を費やした全52巻、収載薬品数1903種の生薬は、本草書として誰もが学ぶべき書物とされています。この本は、日本語に訳されていますが、内容が膨大で、目を通すだけでも大変です。この生薬を、病気に応じて縦横無尽に処方する事が出来たら、多くの病人を救うことが出来るでしょう。
私の能力では、全く無理です。生薬の名前を覚えることすら出来ません。薬草治療は、並外れた能力がないと出来ない治療法だと言えます。薬草治療が、思ったように進歩を遂げず、中華民国の時代に医療の表舞台から姿を消したのは、生薬を使いこなすことが出来なかったからだと考えます。
これを解決するのは、今まで行われて来た処方をデータベース化し、病態の分析方法を新たに構築して、処方を導き出すシステムの開発が必要だと考えます。臨床の場で医師が用いるためには、AIの力が不可欠だと思います。
治療をする際、問題になるのは、病人をどのように見立て、その病気に対して生薬をどのように組み合わせるかと言うことです。生薬を組み合わせる事を、処方(しょほう)と言います。病院で薬をもらう時に「処方箋」を一緒に渡されると思います。その処方です。「箋(せん)」とは、意味や解説の事です。
「方」とは医術の意味ですので、処方は「医術の意味するところ」と言えます。鍼灸医術を行う際、ツボを選びます。ツボは正式には、孔穴(こうけつ)と言います。鍼灸師は、鍼灸治療を行う際、「孔穴を処方」します。処方と言うのは、薬だけに用いる言葉ではない事がお解り頂けると思います。
東洋医術を行う時、鍼灸治療を行う際は「孔穴を処方」し、薬草治療を行う際は「生薬を処方」するわけです。この方法が、医術の良し悪しを決める第1歩です。
その次に、鍼灸治療を行う場合は、どの様な術式で行うかが問題となります。術式とは治療方法の事です。例えば、どんな針をそのぐらい深く刺すか、どの艾をどのくらいの大きさにするかと言うことです。鍼灸治療は外科手術なので、術式と言います。薬草治療をする際は、それぞれの生薬をどのように調合するかが問題になります。例えば、生薬をそれぞれ何グラム入れて何分くらい煮る(煎じる)のかと言うことです。薬の分量を患者さんによって微妙に変えることを、医者の「さじ加減」と言いました。私が子供の頃は、医師が西洋薬をさじ加減によって変えていました。今は、錠剤が多いので、さじ加減をしている医師は、殆どいないのではないでしょうか。
薬草治療における処方は、どの様な考えで行うのか、どんな本が基になっているのか、次回に致します。
いかがでしたでしょうか。今まで以上に、ややこしくて難しかったのではないでしょうか。頑張って、やさしく、分かりやすく書きました。次回も、お付き合いの程を、よろしくお願い致します。
令和4年(2022年)7月24日(日)
東京・調布 清野鍼灸整骨院
院長 清野充典 記
清野鍼灸整骨院は1946年(昭和21年)創業 現在76年目
※清野鍼灸整骨院の前身である「清野治療所」は瘀血吸圧治療法を主体とした治療院として1946年(昭和21年)に開業しました。清野鍼灸整骨院は、「瘀血吸圧治療法」を専門に治療できる全国で数少ない医療機関です。