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清野充典

東洋医学と西洋医学の融合を目指す鍼灸師・柔道整復師

清野充典(せいのみつのり) / 鍼灸師

清野鍼灸整骨院

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コラム

東洋医学とは何か 64 昭和10年に誕生した「瘀血吸圧法」は「療術行為」の中で唯一資格制度化され「瘀血吸圧師」が行う治療方法として認可 「瘀血吸圧法」の養成学校は昭和32年に消滅 有資格者には平成2年に「あん摩マツサージ指圧師」免許を交付 一代一生「瘀血吸圧治療」の施術が認められる

2021年2月2日 公開 / 2023年8月19日更新

テーマ:東洋医学とは何か

コラムカテゴリ:医療・病院

コラムキーワード: 鍼灸治療頭痛 対策東洋医学

 こんにちは、京王線新宿駅から特急2駅目約15分の調布駅前にある清野鍼灸整骨院院長清野充典です。当院は、京王線調布駅前で、鍼灸治療、瘀血治療(瘀血吸圧治療・抜缶治療・刺絡治療等)、徒手治療(柔道整復治療・按摩治療等)、養正治療(ヨーガ治療・生活指導)等の東洋医学に基づいた治療を、最新の医学と最先端の治療技術を基に行っています。京王線東府中駅徒歩3分の所に、分院・清野鍼灸整骨院府中センターがあります。 

 清野鍼灸整骨院HP  http://seino-1987.jp/

 私は、「鍼灸を国民医療」にすることを目的に、東京大学、早稲田大学、順天堂大学等の日本国内を始め、海外の様々な大学や医療機関の人たちと研究を進めています。明治国際医療大学客員教授、早稲田大学特別招聘講師や様々な大学・学会での経験をもとに、患者様や一般市民の皆様に東洋医学のすばらしさを知って戴く活動を行っております。

 「本道(ほんどう)」と呼ばれていた鍼灸治療、薬草治療、整骨治療、按摩治療等の医療は、明治期に「漢方」と呼ばれるようになりました。明治17年(1884年)1月1日に行われた第1回医術開業試験以降、西洋医学一辺倒になりましたが明治44年(1911年)8月14日には「鍼術灸術営業取締規則」と「按摩術営業取締規則」が制定され、漢方の一つである鍼灸術や按摩術(あん摩)は、正式に国家の医療として復活しました。

 今回は、昭和10年(1935年)に誕生した「瘀血吸圧法」の話です。

 瘀血吸圧治療は、「おけつきゅうあつちりょう」と読みます。瘀血(おけつ)の「瘀(お)」とは、古いと言う意味です。瘀血(おけつ)は、訓読みすると「ふるぢ」と読みます。

 瘀血吸圧治療は、一定の器具に火を入れて、その器具を体に装着する治療方法です。器具内の火は、酸素がなくなるためすぐ消えます。中が陰圧になり、皮膚表面が器具内に引き寄せられます。同時に、血液を吸い上げます。健常な血液は、5秒程度で血管内に戻りますが、それ以外の成分は皮膚面に残ります。それを「瘀血」と呼んでいます。

 血液には、寿命があります。赤血球は約120日、白血球は約90日です。血液は、骨髄で作られ、肝臓や脾臓で破壊されます。体内にある血液の成分が、老朽化すると、活動性が低下し、細胞同士が結合して動かなくなります。「瘀血」の正体は、赤血球が結合した塊であると考えられています。瘀血(ふるぢ)は、古い血液つまり活動性をなくした血液を意味します。

 「瘀血」は、脳血栓や脳梗塞の因子となります。瘀血吸圧治療は、「瘀血」を取り除くために最も有効な治療方法の一つであると考えています。血液を溶かす薬は、緊急時に有効な薬ですが、瘀血吸圧治療を行い緊急状態や危篤状態を引き起こさない身体作りに有効です。

 「瘀血」に対する治療法は、中国でも古代より行われています。竹筒や磁器を用いた治療法を、中国では近年「抜缶療法」または「抜火缶療法」と言います。日本では、昭和60年に『中医臨床』という本の中で、翻訳者が「吸玉療法」と用語に訳しました。以来、日本では抜缶療法=吸玉療法となり、その後ガラス玉で行う方法に対して限定的に「吸玉療法」というようになってきました。英語でカッピングと言われるようになってから、さらにカッピング=吸玉療法というネーミングが定着してきた印象です。近年、竹筒や磁器を用いた治療を「抜缶療法」と言って言い分ける傾向にありますが、そもそもすべてが「抜缶療法」だということを知らない人が多くなっています。

 薬草治療でも瘀血を取り除く治療をしています。用いる処方薬を、瘀血駆瘀剤と言っています。

 日本では、「瘀血」に対する治療法は「角法(かくほう)」と言っていました。日本最初の医制である701年に制定された『大宝律令』の「医疾令」には、医師が学ぶべき教科として「角法」が挙げられています。「角法」とは、刺絡(しらく・鍼治療の一つ)と並ぶ採血法の一つです。角製の吸血器を皮膚上に付けて吸血したための呼称です。「悪血(あくけつ)」を取り除く方法として用いられました。鍼を刺して採血する方法を「湿角法」、直ちに皮膚に吸血器を付けて採血する方法を「乾角法」と言います。「角法」は、平安時代(784年~1192年)や室町時代(1338年~1578年)にも『医心方』や『福田方』に見ることが出来ます。時代を経て、江戸時代(1603年~1867年)中期には、西洋医学の「角法」である「瀉血(しゃけつ)」も合わせて行われるようになります。鍼で皮膚を傷つけ、ガラス玉を使用して吸血する方法が『蘭療方』(1801年)に記載されています。

 隋や唐の時代には、蜞鍼(きしんほう)法(水蛭吸血法(すいききゅうけつほう))が用いられ、南宋時代には盛んに行われていたと陳自明の『外科精要』に記されています。平安時代(784年~1192年)に針博士丹波康頼が編集した国宝『医心方』(984年)にも蜞鍼法が書かれています。鎌倉時代(1192年~1338年)から室町時代(1338年~1578年)には、「水蛭療法(すいきりょうほう)」として盛んに行われ、江戸時代(1603年~1867年)の初期まで行われていました。中期以降に一旦衰微しましたが、西洋医学が伝来して再び行われるようになります。荻野元凱の『刺絡篇』(1771年)で、そのことを知ることが出来ます。現代でも「水蛭療法」を行っている医療機関はありますが、ごくわずかです。「水蛭療法」で用いる蛭(ひる)は、人にとって不必要な血液しか吸い出さないと考えられています。そのため、人体にとっては負担なく瘀血が取り除かれる治療と捉えられてきました。

 日本では、江戸時代より、病を「気血水」に分類して考えてきました。「氣」は心の病、「血」は身体の病、「水」は血液の病のことです。水毒ともいわれていますが、広い意味で言うと、体液全てを意味します。

 瘀血を取り除く治療は古来より数多くありますが、それらを総称する言葉はありませんので、清野が「瘀血治療(おけつちりょう)」という用語を創設しました。清野鍼灸整骨院では、血液全般の病に対して行う全ての治療法を駆使して治療を行っています。
(親の代には水蛭療法を行っていましたが、現在は蛭(ひる)に対する抵抗感が強いため、用いていません。)

 一口に血液全般の病と言っても、その疾患・病態は多種多様です。瘀血の病に対する治療は様々ありますが、「瘀血吸圧治療」はその中でも代表的な治療法です。必要以上に血液を排出せず、「水蛭療法」と同様の方法と考えられます。

 瘀血吸圧治療を行うと、「瘀血」がある人は皮膚面に残ります。その痕が何日で消えるかによって、新陳代謝の状況つまり内臓の疲労度を窺い知ることが出来ます。臨床経験をもとに初めて文字化することを試みてみると、
1日で消失 ほぼ健康体
2日で消失 やや疲れ気味
3日で消失 肉体疲労あり
4日で消失 少々内臓疲労あり
5日で消失 内臓疲労あり 
6日で消失 臓器疾患を伴っている恐れあり
7日で消失 臓器疾患を伴っている確率が高い
8日以上消失しないは、疾患を持っている場合が多い
ということが考えられます。上記の考えは、あくまでも目安です。

 肝硬変を患っている時は、3週間を超えても、全く瘀血の色は変わりません。瘀血の観察は、診断にも役立つ診察法です。

 瘀血吸圧治療は、日本の人が開発した治療法です。青森県弘前市出身の小山内良夫という人が行った治療法です。昭和10年(1935年)に、福島県でマラリアが流行した際、医療を受けることが出来なかった人に対し、湯飲み茶わんに火を入れ陰圧にして血液を吸い上げる治療をしたところ、一命を取り止めることが出来たことから、始まった治療法だと伝聞しています。

 それ以降、療術行為として研究が始まり、弘前大学や広島大学の教授らが学問的な基礎を作り、瘀血吸圧法専門学院という学校が出来ました。「瘀血吸圧師」という資格を持つ人は10万人を超えていたと言われています。昭和32年(1957年)に学校が無くなり、今はそれを伝承する人がいなくなりましたが、昭和21年(1946年)から青森で「清野治療所」として診療を行っていた私の父親が、創設者である小山内家の意向を受け、普及活動を行っていました。私も、中学・高校時代に、その活動を手伝っていました。父親が93歳で亡くなって以降は、息子である清野充典がその後を継いでいます。

 現在この治療法を行っている治療所は、ほとんど存在しません。清野鍼灸整骨院の前身である清野治療所は、昭和21年(1946年)10月5日に「瘀血吸圧治療」専門の治療所として両親が創業しました。「瘀血治療が有効な病気」について当院のみが持っている知識と74年の経験を背景に、この治療を行っております。

 瘀血吸圧治療は、血液を体外に出しませんので、活動性を失った血液や役割を終えた血液のみを効率よく取り除く治療法です。本来必要な血液を失わない利点があります。同時に、全身を温める効果があります。瘀血吸圧治療は、温熱療法としても秀逸な治療法です。

 瘀血吸圧治療を行うと、全身が温まります。低体温の人は、体温が1度以上上昇します。いわゆる冷え症の人、末端だけが冷たいという人、常に寒さを感じている人、汗をかかない人、活動性が低い人、内臓の機能低下が認められる人等に有効です。

 大正時代や昭和20年以前の時代に、療術行為や医療類似行為が数多く行われました。昭和23年(1948年)から、2つの行為は、医業類似行為と呼称され、届け出をした者のみ認められました。それらの中で、「瘀血吸圧法」だけは、「瘀血吸圧法専門学院」が設立され、「瘀血吸圧師」という資格が誕生しました。

 学校を設立した小山内良夫は、全国に10万人を超える卒業生を排出しました。瘀血吸圧法普及のため、参議院に2度立候補しましたが、落選。志半ばにして昭和32年に逝去しました。それとともに、「瘀血吸圧法専門学院」は閉校となりました。

 昭和39年(1964年)12月31日までとされた届出医業類似行為者の営業許可は、6度目の延期となりました。この改正により、約2500人が届け出を行いました。平成2年(1990年)に東洋療法試験財団が設立され、「届出医業類似行為業者」には、「あん摩マツサージ指圧師」の免許が全員に交付されました。「瘀血吸圧師」は、「あん摩マツサージ指圧師」となり、1代に限り「瘀血吸圧治療」を出来ることになりました。

 現在、医業類似行為は、医師、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゅう師または柔道整復師の法令で正式にその資格を認められた者以外行うことは禁じられています。「医業類似行為」は、人体に効果があると思われる「手技、電気、光線、刺戟、温熱療法」の5つの行為を指す事とされました。瘀血吸圧法は温熱療法として考えられていたことから、「きゅう術」の一つとして伝承されることが望ましいと考えています。

『日本醫史學雜誌』第65巻2号197頁 通巻第1574号 令和元年6月20日発行
 第120回日本医史学会発表掲載論文 令和元年5月18日・19日

「瘀血吸圧法について」

清野充典
順天堂大学医学部医史学研究室

【はじめに】
 明治七年八月十八日に医制が発布され、「医業」に従事する全ての者が初めて法の下で管理されることになった。明治政府は、医業従事者を医師に一本化する政策を打ち出したが、国内の諸事情を勘案した事に拠り、複数の免許を認可している。この間、療術行為や医療類似行為に対する取り締まりが戦前戦後行われた。その後医業類似行為に名称が統一され、医業類似行為業者の登録を制度化した。療術行為の一つである瘀血吸圧法について述べる。

【本文】
 昭和四年、和歌山県知事が行った医療類似行為に対する照会に対し、内務省は昭和五年一月三十日に「当省トハ別個ニ貴庁ニ緒テ適宣御措置相成可然ト存候」と回答した。その事に拠り、医療類似業者に関して各府県がそれぞれに取締りを行う事となった。東京府は、同年十一月に「療術行為に関する取締規則」を定め、療術行為を「他ノ法令ニ於テ認メラレタル資格ヲ有シ其ノ範囲内ニ於テ為ス診療又ハ施術ヲ除クノ外、疾病ノ治療又ハ保健ノ目的ヲ以テ光・熱・機械器具其ノ他ノ物ヲ使用シ若ハ応用シ又ハ四肢ヲ運用シテ他人ニ施術ヲ為スヲ謂フ」と定義して、この業を営む者は、施術の方法等を所轄の警察署に届け出なければならない事とした。療術行為という名称の法令はこれが初出である。医療類似行為者が行う療術行為の一つに「瘀血吸圧法」がある。この治療方法は、昭和十年に青森県弘前市出身の小山内良夫氏が創始した。瘀血吸圧法専門学院を設立し、数多くの療術行為を行う医療類似行為者、医業類似行為者を輩出した。累計で1万人を超える卒業生を輩出したと推測される。この方法は、吸圧器に火を入れて皮膚面に装着する方法であることから、「熱・機械器具」を用いて施術する行為として認可されたと考えられる。昭和三十九年三月に、厚生省医務局医事課は、「医業類似行為は、大別して人体に効果があると思われる手技療法、電気療法、光線療法、刺戟療法、温熱療法の5つの行為を指す」と言っている。瘀血吸圧法は温熱療法として考えられていたと思われる。

【結語】
 瘀血吸圧法は、医業類似行為5つの中で、唯一学校教育された治療方法である。昭和二十三年一月一日に開始した「届出医業類似行為業者」登録制度は、昭和三十九年に終了し、平成二年に東洋療法試験財団が設立され、「届出医業類似行為業者」には、あん摩マツサージ指圧師の免許を交付した。登録制度があった昭和二十三年一月一日から昭和三十九年迄の間に登録した「届出医業類似行為業者」数は、14700人であった。瘀血吸圧法を業とした届出医業類似行為業者は100名足らずだったと推測される。瘀血吸圧法専門学院は、昭和三十二年、学院長である小山内良夫氏の死去に伴い閉校したことから、この治療法を伝承する公的機関はない。現在、医業類似行為は、医師、歯科医師、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師または柔道整復師の法令で正式にその資格を認められた者以外行うことは禁じられている。瘀血吸圧法は温熱療法として考えられていたことから、きゅう術の一つとして伝承されることが望ましいと考える。

 学会発表時のスライドやその他の論文等をご覧になりたい方は、 清野鍼灸整骨院HP  http://seino-1987.jp/ 内の「東洋医学の辞書サイト」→「研究業績・刊行物・メディア」をご覧ください。(つづく)  

「第121回日本医史学会学術総会抄録号が発刊 私の論文が8年連続採択されました」 https://seino1987.tamaliver.jp/e477788.html

令和3年(2021年)2月3日(水)
 東京・調布 清野鍼灸整骨院
  院長 清野充典 記

清野鍼灸整骨院は1946年(昭和21年)創業 現在75年目
※清野鍼灸整骨院の前身である「清野治療所」は瘀血吸圧治療法を主体とした治療院として1946年(昭和21年)に開業しました。清野鍼灸整骨院は、「瘀血吸圧治療法」を専門に治療できる全国で数少ない医療機関です。

この記事を書いたプロ

清野充典

東洋医学と西洋医学の融合を目指す鍼灸師・柔道整復師

清野充典(清野鍼灸整骨院)

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