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清野充典

東洋医学と西洋医学の融合を目指す鍼灸師・柔道整復師

清野充典(せいのみつのり) / 鍼灸師

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コラム

東洋医学とは何か 57 ー昭和39年に届出医業類似行為者が6度目の営業許可延長となったのは医業類似行為造反における裁判が原因ー

2020年7月11日 公開 / 2020年7月12日更新

テーマ:東洋医学とは何か

コラムカテゴリ:医療・病院

 清野鍼灸整骨院HP  http://seino-1987.jp/

 こんにちは、京王線新宿駅から特急2駅目約15分の調布駅前にある清野鍼灸整骨院院長清野充典です。当院は、京王線調布駅前で、鍼灸治療、瘀血治療、徒手治療(柔道整復治療・按摩治療等)、養正治療(ヨーガ治療・生活指導)等の東洋医学に基づいた治療を、最新の医学と最先端の治療技術を基に行っています。京王線東府中駅徒歩3分の所に、分院・清野鍼灸整骨院府中センターがあります。

 私は、順天堂大学大学院医学研究科の医史学研究室に在籍しています。東洋医学について長年研究をしてまいりましたので、東洋医学についてコラムを書いています。

 明治7年(1874年)8月18日に医師制度(医制)が誕生してドイツ医学中心の医学・医療に変わりました。江戸時代まで鍼灸治療、薬草治療、整骨治療、按摩治療等の医療は「本道(ほんどう)」と呼ばれていましたが、国の中心となる医療ではなくなったことから、別称として「漢方」と呼ばれるようになりました。明治17年(1884年)1月1日に行われた第1回医術開業試験以降、医師国家試験には漢方に関連した問題が出題されないことから、試験に合格することを目的とした医師たちは漢方を学ぼうとしなくなったため、明治20年(1887年)以降、漢方医学は大きく衰退しました。その後、漢方の復興に関する活動が実り、明治44年(1911年)8月14日には「鍼術灸術営業取締規則」と「按摩術営業取締規則」が制定され、漢方の一つである鍼灸術や按摩術(あん摩)は正式に国家の医療として復活し、徒手整復術(柔道整復術)もその後追認されました。 

 第二次世界大戦(大東亜戦争)を経て、日本は昭和22年(1947年)5月3日に日本国憲法が施行されたことに伴い、昭和22年12月20日に「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」が公布され、昭和23年(1948年)1月1日に施行されました。
 これに先立ち、昭和22年3月に、厚生大臣の医療制度審議会において、「いわゆる医業類似行為はすべてこれを禁止すること」とされました。その後、「医療類似行為」と「療術行為」を合わせた新しい名称「医業類似行為」が法律用語として誕生し、「医業類似行為」はすべて禁止することになりましたが、現に営業を行っている者については、生活を考慮し、所定の届出を行った者が昭和30年末までの間営業出来る事としました。昭和22年10月1日から12月31日までの届出期間に、約14000人が届出を行いましたが、医業類似行為者の届け出期間が9か月と短かったのでこの規定による救済を受けられない者が相当存在しました。戦争で外地に在住する者が、簡単に帰国できなかったからです。

 医業類似行為者の法律は制定されず、「あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法」の中に組み入れられ、医業類似行為という名称が表に出ることなくこの法律の中で、幾度も延長されます。昭和23年(1948年)1月1日以降、医業類似行為は、既得権者以外一切禁止されました※が、昭和26年4月1日に「あん摩師、はり師、きゅう師、柔道整復師法」という身分法に改められた際や昭和28年1月20日に受験資格等に関する改正が行われたとき、戦争による引き揚げ者が全員完了していないという理由で既得権益の延長が行われました。昭和24年(1949年)から昭和27年(1952年)に行われた調査によると、医業類似行為者は14856人でしたが、昭和30年末までの営業禁止猶予期限が迫ってもなお13000人が営業していました。政府は、昭和30年(1955年)8月12日に医業類似行為の営業を33年(1958年)12月31日まで3年延長し、医業類似行為の一つとしていた「指圧」をあん摩に含め、届出業者があん摩師に転業するように促進することにしました。それに伴い、届出医業類似行為者は、指圧業以外は廃業となりました。

 その後、指圧関係の届出業者を中心に相当数のあん摩師試験合格者が誕生しましたが、医業類似行為者の解決にほど遠かったため、昭和33年(1958年)4月22日に再度昭和36年(1961年)12月31日までに延長、昭和36年(1961年)11月16日には更に昭和39年(1964年)12月31日まで延長しました。日本政府は、5度にわたって医業類似行為者の既得権益を延長しました。

 昭和38年(1963年)12月に、中央審議会は、厚生大臣に対して、
1.あん摩業における視覚障害者の保護
2.医業類似行為の取扱
3.無免許者の取締り
について答申を行いました。

1については、「あん摩業における視覚障害者のため、あん摩師を慰安、疲労回復を目的とする「保健あん摩師」と医師の指示の下に疾病の治療を目的として行う「医療マッサージ師」とに分け、「保健あん摩師」について、視覚障害者のみに開業を認めること。」という内容でした。この考えは区別が困難であるということで関係者の合意を得ることは出来ず、実現しませんでした。あん摩師が2つに分離することはありませんでしたが、医師の指示の下に行われるマッサージは医療保険の適応になっています。実務上は、このときの答申が生かされています。

 昭和39年6月30日に改正された「あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法」では、「あん摩師」の名称が「あん摩マッサージ指圧師」に改められました。
マッサージは、医療保険が適用となる行為として組み入れられた名称と思われます。この背景には、昭和39年に誕生した作業療法士と理学療法士との兼ね合いがあると考えられます。また、「あん摩マッサージ指圧師」資格は、医業類似行為を行っていた「指圧業者」に配慮した名称でした。

 2の答申である「医業類似行為の取扱」については、大きな議論となりました。届出医業類似行為者は、14856人でしたが、昭和39年(1964年)6月30日時点で約9300人になっていました。日本政府は、6度目の延長を決め、新たに届出を求めました。登録者は約2500名でした。このとき、医業類似行為を5つに分類しました。

 その背景には大きな事件がありました。昭和26年9月に起きた事件です。

 常磐炭鉱で鉱夫をしていた後藤博さんが、当時の石炭不況もあり、HS式高周波治療器を購入して炭鉱仲間を患者に開業し、その3日後に医業類似行為の違反で逮捕されました。この、高周波治療というのは、湿布した患部を二枚の金属板で挟み、家庭の交流電気を高圧放電させて深部に高周波振動を起こさせる超短波の一種で、灸のように熱くならないので、無熱高周波療法と称していました。

 この裁判は、一旦有罪となりますが、本人の不服申し立てもあり、昭和35年1月まで続きます。最高裁まで続いた最後の判決は、
(1)医師法第17条 医師でなければ、医業をしてはならない。
(2)あはき師法第1条 医師以外の者で、あん摩、マッサージ若しくは指圧、はりまたはきゅうを業としようとする者は、それぞれ、あん摩マッサージ指圧師免許、はり師免許又はきゅう師免許を受けなければならない。
(3)昭和25年医収第97号 厚生省医務局長回答「これらの施術を業として行うことは、理論上医師法第17条に所謂「医業」の一部と見做される。営業法(あはき法)第1条の規定は、医師法第17条に対する特別法的規定である。」
(4)あはき師法第12条 何人も、第1条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならない。
(5)憲法第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業の選択の自由を有する。
という内容でした。
 法律の文章を解釈するには、それ相応の知識が必要です。また、上記の内容は、よほど熟知し、熟読しなければわからない内容です。昭和26年から昭和35年まで、医業類似行為とは何かと言うことが当時の厚生省内で盛んに話し合われました。その結果、「医業類似行為」とは、人体に効果があると思われる「手技、電気、光線、刺戟、温熱療法」の5つの行為を指す事とされました。この行為は、
 手技療法・・・カイロプラクティック、オステオパシー
 電気療法・・・野一色蒸熱電気、三種発電治療器
 光線療法・・・紫外線療法、赤外線療法
 刺戟療法・・・温湿布療法、蒸熱療法
 温熱療法・・・イトテルミー、紅療法
などのことです。ここでいう5つの「医業類似行為」で届け出をして営業を継続している人は、8,600名に及びます。その行為は、323種類に及んでいました。医業類似行為をしていた人たちの内訳は、手技5,500名そのうち指圧が4,000名、電気1,700名、光線200名、温熱300名、刺戟600名、その他が300名です。
 上記療法は、医師、歯科医師、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師と医業類似行為の届け出をした医業類似行為者以外はしてはいけないという判決でした。
 
 ただし、被告人の後藤博さんは、無資格者ゆえに逮捕されましたが、3日しか営業しておらず、なお且つ人に危害も加えていなかったことから、行った行為は有害ではなく、(5)に示されたように、国民として生きる権利は有しているという理由で無罪となったのです。戦後で暮らしが貧しい人が多かったことから、温情のある判決でした。

 無資格者は、上記治療を行ってはいけないという判決でしたが、翌日、毎日新聞の記者が書いた一面の記事は、

 「有害な場合だけ制限 
  あんま、はりなどの医業類似行為
  最高裁、処罰の判決差し戻し」

でした。

 この、見出し記事が、「あんまやはりなどの治療は医業類似行為である」という誤解を生み、その後に行われている学校教育にも影響が及んでいます。その後、毎日新聞は、新聞紙上で謝罪していますが、小さな文字での訂正文だったので、誤解を解消するには至っていません。鍼灸治療、あん摩マッサージ指圧治療、柔道整復治療があたかも医業類似行為であるように学校等で教育したり誤解している人が多いため、国民も誤解している人が多いように思います。毎日新聞の一記者における1960年の誤解が、60年経った今でも医業類似行為に対し大きな誤解と曲解を生み、この問題は今なお行政と国民に大きくのしかかっています。私がこのコラムを書いている理由の一つは、この誤解を解消するためでもあります。

 昭和36年(1961年)11月16日に昭和39年(1964年)12月31日まで延長し、昭和39年(1964年)6月30日時点で約9300人になっていた届出医業類似行為者に対し、6度目の延長を決めた背景に、この裁判結果が影響していたことは、明らかです。

 その後、この裁判は差し戻され、高裁で有罪となり、昭和39年に行われた2度目の最高裁判決で有罪が確定します。(つづく) 

【参考文献】『医学教育の歴史』坂井建雄編 2019年3月20日(財)法政大学出版局発行
      『厚生省五十年史』

※1948年に既得権を得ている人は、仮に当時18歳としても2020年現在90歳を超えています。世襲は認められていませんので、鍼灸院・接骨院・整骨院・あん摩院・指圧院以外の名称で治療行為をしていて90歳以下の人は、何らかの医療国家資格を有していない限り法律違反者です。
                          

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