リファスタ|ダイヤは燃える・火に弱い理由
リファスタです。今回は、世界のダイヤモンドがどこから来たのかを、産地の歴史からまとめます。
この記事を読むと、ダイヤの産地がインド1国だった時代、産地が世界へ広がった経緯、そしてインドが「磨く国」として中心に戻った流れが分かります。
結論からお伝えします。何千年ものあいだ、世界のダイヤモンドはインドだけから採れていました。ブラジルで鉱床が見つかる1720年代まで、産地として知られていたのはインドだけです。そして産地の座を失ったインドは、研磨の中心地として、ふたたびダイヤの中心に戻りました。その長い歴史の先に、皆さんの手元の一粒があります。ただし売るときの価値を決めるのは産地ではありません。それを正しく見極めるのが、私たち買取の仕事です。
■何千年も、産地はインドだけだった
ダイヤモンドは、何千年も前にインドで最初に発見されました。取引の中心地はゴルコンダ。アンドラ・プラデシュ州、ハイデラバードの近くです。18世紀の初頭にブラジルで発見されるまで、産地として知られていたのはインドだけでした。インドネシアのボルネオに小さな鉱床はありましたが、ごく少量です。そして注目すべきは採り方です。コー・イ・ヌールをはじめ、世界で最も有名なダイヤの多くは、この時代のインドで見つかりましたが、いずれも漂砂鉱床、つまり川や干上がった川底から得られたものでした。深い鉱山を掘り当てたのではなく、川が運んできた石を拾い集めていたのです。1676年に出版されたタヴェルニエのインド旅行記にも、これらの産地の記録が残っています。
■1720年代、産地が世界へ広がる
転機は1720年代の終わりでした。ブラジルのミナスジェライス州で鉱床が発見されます。これもインドと同じ漂砂鉱床でした。この頃インドの産出は減少傾向にあり、ブラジルが急速に最大の産出地となります。さらに19世紀の終わり、南アフリカが台頭します。きっかけは1867年、オレンジ川の岸で確認されたユーレカ・ダイヤモンド。21.25カラットの原石で、カット後は10.73カラットになりました。こうしてダイヤは、一国の宝から、世界各地で産出される資源へと変わっていきます。
■インドは「磨く国」として中心に戻った
1980年代の半ば、世界のダイヤモンド生産量は年間1億カラットを超えました。ただし、その多くは小さく、品質も高くはありません。この大量の小さなダイヤの研磨を引き受けたのが、インドのスーラトでした。研磨工場の発展によってダイヤは身近になり、幅広い層の人が手にできるものになります。産地としての役割を終えたインドは、研磨という工程で世界の中心に戻ったのです。
■まとめ
世界のダイヤはおよそ300年前までインドだけのもので、しかも川底から拾われていました。産地はブラジル、南アフリカへと広がり、インドは磨く国として中心に戻ります。ダイヤが誰の手にも届くようになったのは、この歴史の結果です。
■天然か、処理か、合成か──買取の見極め
産地の歴史は魅力的ですが、買取価格は産地では決まりません。価格を左右するのは、その石が天然か、処理か、合成かの見極めと、4Cのグレードです。由来を証明する書類がない限り、産地を価格に織り込むことはできません。リファスタでは、この見極めの過程を拡大モニターに映し、お客様と一緒に確認します。LINEでの無料相談、公開している買取価格表、そして1点ごとの明細書で、価値の根拠を正確にお伝えします。
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※本レポートは情報提供を目的としており、投資・売却の判断を推奨するものではありません。
【データソース】
・インドが唯一の産地/ゴルコンダ/有名ダイヤは漂砂鉱床/タヴェルニエ旅行記(1676年)/ブラジル発見(1720年代終わり・ミナスジェライス)/ユーレカ・ダイヤモンド(1867年・21.25ct→10.73ct)/年間1億カラット超(1980年代半ば)/スーラトの研磨工場発展
・産地による価格プレミアム(ゴルコンダ産等)


