「褒める・否定しない」の罠。親が我慢をやめると子どものイライラが収まる心理学
子どもたちと向き合う中で、私がひとつの指針にしている言葉があります。
「褒めて、認めて、大事にする」
以前、オンラインで受講した発達障害コミュニケーション講座の中で出会った言葉です。シンプルですがとても本質的で、「これだ」と深く納得したのを覚えています。
この考え方に共感したことが、私が「リトミック」と「感覚統合」を掛け合わせたレッスンを広めていこうと思った大きなきっかけでした。
何か特別な成果を出さなくても、ただ存在しているだけで認められる体験。それが子どもたちの心の中に「自分は自分でいいんだ」という確かな土台を育むと、今も思っています。
……けれど、言葉で理解し、軸として持ってはいても、実際の日常やレッスン現場ではそう思えない自分にハッとさせられることも少なくありません。
頭では「そのままを受け止めよう」と分かっているのに、目の前の息子たちの行動にいらいらしてしまったり、生徒にも「もっとこうできたら」と自分の理想を重ねて焦ってしまったり。うまく寄り添えなかったと感じた日の終わりに、「私、全然できていないな」と一人で反省しては、自己嫌悪になることだってあります。
「ありのままを認め、大事にする大人でありたい」と願いながら、その実、一番「自分の未熟さ」や「揺らぐ感情」を許せていないのは、他ならぬ自分自身なのだと痛感します。
親も、先生も、指導者も、決して完璧な人間ではありません。余裕がないときもあるし、悩むし、失敗もします。
だからこそ、まずは大人自身が「完璧じゃなくていい」「今の自分はこれで精一杯なんだ」と、自分の不完全さも含めて認めてあげること。自分自身に対して少し優しくなれたとき、初めて目の前の子どもに対しても、力みのないニュートラルな眼差しを向けられるようになるのだと思います。
また、視点を少し広げてみると、今の世の中そのものが一度の失敗も許さなかったり、ネットやSNSでも誹謗中傷があふれていたりと、寛容さを失っているように感じます。そうした厳しい風潮があるからこそ、なおさら「失敗しても大丈夫」「あなたのままでいい」と丸ごと存在を認め合える空気感が、今の教育や子どもたちの環境に強く求められているのではないでしょうか。
世の中がどれだけ窮屈であっても、せめて私たちが作る小さな現場くらいは、誰もが安心してそのままの自分でいられる安全な場所でありたい。
「褒めて, 認めて, 大事にする」
今日も理想と現実のあいだでグラグラと揺れ動きながらも、子どもたちが安心して自己表現できる場所を、作っていけたらと思っています。


