困った子?それとも困っている子? 〜行動の見方を変える感覚統合の視点〜
先日、小学校の養護教諭をしている友人と話をしていて、とても考えさせられる話を聞きました。
「今の子どもたちは蛇口をひねれない子がいる」
「雑巾をうまく絞れない」
「雑巾掛けで体の使い方が分からず転倒やけがにつながることもある」
最初は驚きました。
しかし話を聞いていくうちに、子どもたちの問題というよりも、私たちを取り巻く生活環境の変化が大きく影響しているのではないかと感じました。
私たちが子どもの頃は、蛇口をひねる、雑巾を絞る、床を拭く、荷物を運ぶなど、日常生活の中に自然と手や指、腕、肩、体幹を使う機会がたくさんありました。
ところが現在は、レバー式の蛇口や自動水栓、ロボット掃除機など、便利な設備が増えています。コロナ禍以降は感染予防の観点からセンサー式の設備も広がり、人や物に触れずに生活できる環境が当たり前になりました。
便利になることは決して悪いことではありません。私たちの生活を快適にし、衛生面や安全面を向上させてくれる大切な進歩です。
その一方で、手首をひねる、握る、押す、引くといった基本的な動作を経験する機会は、以前に比べて少なくなっているのかもしれません。
さらに、家族のあり方や住環境も大きく変化し、子どもが家事に参加する機会も減っているように感じます。
乳幼児期に目を向けると、ハイハイの期間や運動経験にも個人差があり、幼少期からの積み重ねが、その後の体の使い方に影響する可能性も考えられます。
さらに近年は、安全面への配慮から学校や公園の遊具が撤去されるケースも見られます。
昔は当たり前だった「登る」「ぶら下がる」「渡る」「飛び降りる」といった遊びは、子どもたちにとって体の使い方を学ぶ大切な機会でした。
また、ゲームやスマートフォンの普及により、外で体を動かして遊ぶ時間も減っていると言われています。
子どもは本来、遊びや生活の中で自分の体の使い方を覚えていきます。
転ぶことでバランスを学び、荷物を持つことで力加減を覚え、雑巾を絞ることで手や腕の使い方を身につけていきます。
そうした経験の積み重ねが、姿勢を保つ力や集中力、手先の器用さにもつながっていきます。
リトミックのレッスンでも、楽器を鳴らしたり、スカーフを動かしたり、床を這ったり、バランスを取ったりする活動の中で、子どもたちは楽しみながら自分の体との付き合い方を学んでいます。
最近は、「姿勢が崩れやすい」「不器用さが気になる」「集中が続きにくい」といった相談を受けることがあります。
もちろん、その原因は一つではありません。
しかし、その背景には体を使って学ぶ経験の不足が関係している場合もあるのではないかと感じています。
子どもたちに必要なのは、特別なトレーニングだけではありません。
お手伝いをする。
荷物を持つ。
雑巾を絞る。
公園で遊ぶ。
そんな日常の何気ない経験の中に、子どもの成長を支える大切な学びがたくさん詰まっています。
便利な時代だからこそ、私たち大人は子どもたちから「体を使って学ぶ機会」を奪っていないか、ときどき立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれません。
養護教諭の友人との何気ない会話から、改めてそんなことを考えさせられました。


