第二の仕事の相談にある対照的な2タイプ
【今日のポイント】
この2年間のコロナ禍によって、
否応なく生活スタイルや仕事のスタンスが変わりました。
最初のうちは強い違和感や抵抗感があったものの、
今となってみると却っていい形への変化を促したことも少なくないようです。
今日はこういった新しいスタイルによって変わりつつある日常について
主だったものを、あくまでも私の主観で紹介したいと思います。
【冠婚葬祭の変化】
遠隔地にある郷里で執り行われる親族の葬儀や7回忌、13回忌といった行事。
同様に、顔も覚えていないような親族や小中学校時代の友人の冠婚葬祭。
どう考えても日帰りでは難しいような郷里で式が執り行われる場合、
従来は本心とは裏腹に世間体や義理に縛られ、強行軍で参列したものでした。
仮に郷里の親戚に遠方だから、仕事があるから今回は欠席したい旨を打診しても
「前例がないことだから(出てきなさい)」「貴方が一番かわいがってもらってたのよ」
と返されれば、反論も出来なくなるのが一般的でした。
より厄介な事例を紹介します。
自分の親族ではなく、配偶者側の冠婚葬祭への参加というケースの場合、より世間体や配偶者への風当たりといったプレッシャーに負けて、貴重な時間とお金をかけ続けたという例でした。
この事例は私の知人の話ですが、あるときにたまたま深い意味もなく奥さんの実家の法事に旦那も参加したのです。
これが先方から予想外に賞賛されてしまい、翌年以降引くに引けなくなり、2年前まで20年以上の「本人曰く、苦役」が続いたそうです。
奥さんもさすがに何度か参列の中止を考えたそうですが、既に郷里から訪問日時の問合せが恒常化しており、夫婦ともに「もう参列はしない」という鈴を猫の首につける勇気がなく、一時は夫婦仲にも亀裂が生じたとのことでした。
それが、この2年にわたるコロナ禍によって大きく変化したのです。
大義名分を得たとばかり、今回は欠席を連絡しようとした直前に、なんと肝心の郷里の親戚筋から来訪の遠慮を申し出てきたのです。
そして今年はこちらから欠席を堂々と連絡出来たとのことでした。
この事例以外にも、
「菩提寺から法事の中止、墓参の遠慮を通知されました。」
「訃報連絡は出したものの、時節柄葬儀は執り行わない旨が併記されてました。」
慶事の場合も同様で、
「祖父の卒寿のお祝いの予定で実家に集まる予定が見送りになりました。」
「予定していた直属の上司の取締役就任パーティーは中止になりました。」
「得意先の創立記念の泊りがけの祝賀会は延期となりました。」
上記のようなケース以外でもコロナ禍による密の自粛や遠距離移動の見直しなどが発せられたおかげで、先方からの連絡前に堂々と出席の遠慮を申し出ることが可能になったのです。
【進む虚礼廃止】
今まで「前例がないから止められなかった」「出来たらもう止めたい」と内心思っていた案件の殆どは、コロナ感染予防の指針によってあっけなく「止めることが出来た。」のです。
理由はともかく一度前例が出来てしまえば、コロナ収束後も「もういったん止めたものに拘らなくてもいい」「前例が出来たから適当な理由で辞退できる」といった流れに代わっていくのは当然の結果と言えるでしょう。
ある意味する側、受ける側の双方でもういい加減止めてもいいのでは?と思っていても、ここまで続いてきた恒例行事を「自分の代で」「自分の口から」言い出すことは出来なかった。
それが、昨年の緊急事態で「止めてみたけど何の支障もなかった。」ことが判明。一気に今年に入ってからは「これを機会に虚礼廃止を進めよう。」という気運が高まったのです。
【業務の見直し】
虚礼の廃止や見直しと同様に、日々の仕事の場面でもコロナ対策の為のリモートワークや出勤率半減の実施で、これまで当たり前と思われた業務や業務の進め方にもメスが入りました。
今迄気付かなかった無理や無駄、気付いてはいたものの言い出せなかった問題点が一気に炙り出されたことで「効率化」「改善」が促進されたのは、天災によるものだったというのは、複雑な想いではありますが、認めざるを得ません。
私の周囲でも今回の状況を奇禍として、創業以来固定化してきた業務マニュアルの全面的見直しや、突発的事態に対して柔軟な対応が可能になるような改定を積極的に推進している企業が出てきています。
「禍福は糾える縄の如し」で片付けたくはありませんが、来年以降には復興した新しい社会についてこの場で紹介したいものです。