「計画的倒産」のリアル ~「逃げ」ではなく「責任ある幕引き」としての戦略~【才藤 投稿】
内藤明亜事務所の才藤です。
あとから振り返ると、坂道はもっと手前から始まっていた。そうおっしゃる経営者の方に、この仕事をしていると何度もお会いします。
まだ大丈夫だと思っていたあの頃、会社の中では何が起きていたのか。今日はその話を書きます。
1.「あのときは、まだ大丈夫だと思っていました」
相談にみえた方が、ほとんど同じ言い方をされることがあります。
「あのときは、まだ大丈夫だと思っていました」
決まって、そのあとに少し間が空きます。そして「今から思えば」と続く。
わたしはこの言葉を、判断が甘かったという意味では受け取っていません。むしろ逆で、その時点では本当に大丈夫に見えていたのだと思っています。
売上は落ちていない。支払いも遅れていない。従業員も辞めていない。数字の上では、去年と大きく変わらない。
変わっていたのは、もっと静かなところでした。
2.Aさんに何が起きていたのか
関東で内装工事の会社を営んでいたAさんの話です。従業員は10人ほど、業歴は40年を超えていました。父親から継いだ会社です。
Aさんが最初に「おや」と思ったのは、資材の見積書でした。同じ材料の単価が、半年前と違う。
そのときは、次の現場で調整すればいいと考えたそうです。実際、その現場では調整できました。
次の年、職人がひとり辞めました。求人を出しても来ないので、外注に回しました。外注費は、社内でやるより高くつきます。
それでも受注はあり、仕事は回っていました。通帳の残高も、まだ数字が並んでいた。
Aさんが手を止めたのは、そこからさらに一年半ほどあとです。取引先の支払いが一か月後ろにずれた、という連絡を受けたときでした。
そのとき初めて、Aさんは通帳と支払予定を並べて見たそうです。
3.なぜ、その判断が遅れるのか
Aさんは怠けていたわけではありません。毎日、朝早くから現場に出ていました。
判断が遅れた理由は、悪い変化がひとつずつ、別々の顔をしてやってくることにあります。
資材が上がったのは仕入の話。職人が辞めたのは人の話。支払いがずれたのは取引先の話。
ひとつずつ見れば、どれも「よくあること」です。つなげて見て初めて、同じ一本の線だと分かる。
けれど経営者は、目の前の現場を回しながらその線を引くことになります。しかも、線を引いても誰かに見せられるわけではない。
従業員には言えません。不安にさせるからです。家族にも言えません。心配をかけるからです。取引先には、もっと言えません。
言えない状態が続くと、人は数字を見なくなります。見れば分かってしまうからです。
これは、意志の弱さではないのではないでしょうか。
帝国データバンクの倒産集計2026年7月報(2026年8月10日発表)によると、7月に倒産した会社のうち業歴30年以上が339件。そのうち100年以上続いた老舗が20件ありました。
30年、100年と続いた会社にも、同じ静かな時期があったのだとわたしは考えています。
まだ相談する段階じゃない、と思っていませんか。
4.わたしたちがお伝えしていること
相談にみえた方に、まずお伝えしていることがあります。
- 今日の残高より、三か月後の残高を見てください
- 悪い変化は、三つ並べて初めて意味が出ます
- 言えない相手が増えたら、それ自体が兆候です
- 数字を見るのが怖い時期こそ、いちばん動ける時期です
Aさんは、通帳を見た日にご相談にみえました。まだ支払いが止まってはいませんでした。
その段階だったので、取れる道が複数残っていました。もし半年遅れていたら、選べる形は減っていたはずです。
5.どうか、一人で抱え込まないでください
「まだ大丈夫」と思っていた頃のことを、あとから責める必要はありません。
その時期に見えていた景色は、たしかに大丈夫に見えたのです。誰が見てもそうだったと思います。
ただ、もし今、通帳を開くのが少し億劫になっているとしたら。あるいは、誰にも言えない話が一つ増えているとしたら。
それは、まだ動ける時期にいるということでもあります。
相談したからといって、倒産することにはなりません。
ご本人が動けないときは、ご家族からのご相談も受けています。
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