その「かな」が信頼を削っている!? 語尾に宿る「プロの覚悟」
サッカー日本代表に元気をもらった月曜日の朝でしたね。
寝不足もなんのその、仕事に向かう足取りも軽く、今週も張り切ってまいりましょう!
その言葉に違和感はありませんか?
近年、私が、ビジネスの現場で気になっている言葉を2つ・・・。
それは「当事者意識を持つ」という意味で使い回されている「自分事」。
そして、研修の感想などで「多くの気づきがありました」と使われる「気づき」
です。
「このプロジェクトの課題を全員が自分事化する必要があります」
「今日の研修は、非常に多くの気づきが得られました」
しかし、これらは本来の日本語にはない造語であり「安易な記号に過ぎないのでは?」いう違和感があるのです。
豊かな日本語を放棄しないで!
日本には古来、「我がこと」「身につまされる」「当事者意識」といった、情緒と知性に満ちた美しい言葉が豊かに存在していたはずです。
それらをすべて無視し、「自分事」「気づき」という便利な箱の中に思考を放り込んで満足するのは自ら考えることを放棄したように思えてならないのです。
「新しい知見を得た」のか、あるいは「目から鱗が落ちた」のか・・・その時の思考の深さに合わせた言葉選びを放棄し、安易な言葉に頼っていると私には映ります。
流行りの記号的な表現で済ませることは、目の前の相手に対する「甘え」
であり、「想像力の欠如」、「思考の浅さ」として、ビジネスの現場で見透かされてしまう可能性が大いにあります。
耳の上を通り過ぎていくだけの退屈な言葉を、次のように言い換えてみては如何でしょう?
「このプロジェクトの課題を、全員が我がこととして捉え、当事者意識を持って多くの学びを重ねる必要があります」
言葉を発する前に、一瞬の間を置き、考えよう!
ほんの一呼吸置き、世間の流行リ言葉から距離を置く。
それだけで言葉の重みは劇的に変わり、他者とは一線を画す確固たる「背骨」が通るはず。
流行に乗って安易な表現に逃げ込み、思考を止めてしまう前に、本来の日本語が持つ豊かな情緒を、自分の手で取り戻してほしいと思うのです。


