プレゼンにラポール(架け橋)をかけて、観客と一体感を持とう♪
当会プレゼン記事がAERAに紹介されるまで
私はかつて、教育専門科の方がパネリストとなっている学生向け「国際会議」の企画および、モデレーターを務めたとことがありました。
その中には、自ら「教育改革家」と称する、教育界では、いわゆる大物とされる方がパネリストとして参加されていました。
私はその「教育改革家」の方に、会議終了後の交流会で、日本の英語教育の問題点をお話し、当会での実践も踏まえ、少しでも改善できるよう、ご指導いただき、且つお互い協力し合うことはできませんか、とお声がけしたところ、下記のような「お答え」が返ってきました。
「私は、公教育が専門なんでね。あなたがやっているような民間の小さな塾とは、関係がない。それに、この私に何か頼むんだったら、それなりの影響力を持ってから来てくれないかね。」
私は、一瞬あっけにとられました。
そもそも教育に限らず、「改革」というものは、同じ方向を志向する人々が、官も民も、いや、様々な分野を超えて、柔軟に連帯し、達成していくイメージを持っていたからです。
一方、なるほど「教育改革家」と称する人ですらこうした発想であるのだから、日本の教育界に本質的変化が、生まれるはずもない、と深く納得したのです。
そして、やがて「闘志」がムクムクと湧いてきました。
それは、「ならば、まさにその名もない英語塾から、英語教育改革のウェーブを起こしてやろう!」
という闘志です。
そのために、どうすれば良いか。
これまで通り、理念だけを掲げるだけでなく、地を這うように、実績を地道に積んでいくことに変わりはありません。
その実績を示し、当スクール自体が英語教育改革の一つのモデルを示すための媒体、メディアとなることへの新たな意欲です。
国際ジャーナリスト大野和基先生との出会い
早速、その一環として15年目を迎えた昨年の英語プレゼン大会を取材してもらうよう、私は、NHKや東京新聞はじめ、30近いメディアにプレスリリースを出しました。
しかし、全く反応がなく、あきらめかけていたところ、ちょうどプレゼンの2日前に、「豊田さん、取材決まりましたよ!AERAで紹介できますよ。」と、私の携帯に一本の電話が入ったのです。
それが、国際ジャーナリストの大野和基先生でした。
大野先生と初めて出会ったのは、昨年の11月に開催された、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)主催「米大統領選を解く~米国、日本、そして世界の行方は?」というセミナー後の異業種交流会でした。
トップ写真のように、セミナー講師のお一人、米国ヘリテージ財団元上級研究員の横江公美先生(東洋大学教授)と共に記念写真を撮らせていただきました。
どの方も英語で会社名と名前を銘記したネームを胸につけていましたが、大野先生のネームには、会社名でなくINDEPENDENT(自主独立のフリーランス)のタイトルが目立っていました。
大野先生は、互いに自己紹介するや否や、「ちょうど3日前にパリでジャック・アタリにインタビューしたばかりでなんですよ。」と近況を述べられましたが、にわかには、信じられませんでした。
しかし、スマホでご経歴をさっと調べると、世界中を飛び回り、名だたる国際的知識人にインタビューし、多数の自著、翻訳書を出し、またテレビ出演も数多くこなしている、日本を代表する国際ジャーナリストのお一人である、ということがわかりました。
「英語でちゃんとインタビューできるバイリンガルのプロのジャーナリストは、日本では希少なので、未だに僕の所に仕事が集中してしまう。まいりますよ。」と、早口で述べておられました。
だからこそ、当スクールの「世界に自己発信できる英語力を育む。」という理念に深く共鳴くださったのでしょう。
「日本の英語教育は無茶苦茶です。これだけ英語学習に時間もお金もかけて、英語使えないのは、世界広しと言えども日本人だけです。僕もできることは協力します。」
と、気さくにおっしゃてくださり、感銘を受けました。
まさに、分野も社会的地位も超えて、英語教育の改革に向けて意気投合した瞬間です。
皮肉にも「教育改革家」の先生には無視された当スクールですが、国際ジャーナリストの先生によって光を当てられたのです。
(つづく)
追記:私はこの記事の教師区者の方に、今では大変感謝しています。
結果として私を奮い立たせてくださったからです。
そういう意味で、真の「教育改革者」なのかもしれませんね。