大切な人を亡くした人に、どう声をかけたらいい?グリーフケアで大切なこと
お彼岸になると、お墓参りをしたり、仏壇に手を合わせたり、大切な人を思い出したりする方も多いでしょう。
けれど、大切な人を亡くした方にとって、お彼岸は単なる季節の行事ではありません。
亡くなった人を、いつも以上に身近に感じる時間になることがあります。
そんなとき、身近にいる人は、
「お墓参りに誘った方がいいのかな」
「亡くなった人の話をしても大丈夫なのかな」
「せっかく落ち着いているのに、思い出させない方がいいのかな」
と迷うこともあるかもしれません。
お彼岸は、グリーフを抱えている人を支える側にとっても、その人の気持ちに少し目を向けるきっかけになります。
お彼岸は「悲しみを終わらせる日」ではありません
大切な人を亡くしたあとの悲しみには、「ここまで来たら終わり」という明確な区切りはありません。
四十九日が過ぎても、一周忌が過ぎても、お彼岸が何度巡ってきても、大切な人を思う気持ちは続いていきます。
ですから、お彼岸を迎えたからといって、
「そろそろ気持ちを切り替えなければ」
「いつまでも悲しんでいてはいけない」
と考える必要はありません。
それでも、お彼岸のように暦の中に決まった日があることには、一つの意味があると思います。
いつもと変わらない毎日の流れの中に、
一度立ち止まって、大切な人を思う小さな節目をつくることができる。
それがお彼岸という時間の一つの役割なのではないでしょうか。
何気ない日常の中に「節目」があるということ
大切な人を亡くしたあとも、日常は続いていきます。
仕事に行き、家事をして、人と話し、食事をして、眠る。
外から見れば、以前と変わらない生活に戻っているように見えることもあります。
でも、その人の心の中には、ずっと大切な人がいます。
普段は忙しさの中で、その思いをゆっくり感じる時間がないこともあるでしょう。
だからこそ、
お彼岸だからお墓へ行ってみる。
花を飾ってみる。
好きだったものを供えてみる。
写真を眺めてみる。
少しだけその人の話をしてみる。
そんな時間が、続いていく日常の中に一つの節目をつくってくれることがあります。
それは、「ここで悲しみを終わりにする」という線ではありません。
これまでの日々を一度振り返り、また明日からの日常へ戻っていくための節目です。
支える人ができるのは、思い出す時間を尊重すること
身近な人がお彼岸を迎えるとき、何か特別なことをしてあげなければと思わなくても大丈夫です。
「お彼岸だね」
「お墓参り、どうする?」
「今日はゆっくり過ごしたい?」
そんなふうに、その人がどう過ごしたいのかを気にかけてみるだけでもいいのです。
大切なのは、「こう過ごすべき」と決めないことです。
お墓参りに行きたい人もいれば、行きたくない人もいます。
亡くなった人の話をしたい人もいれば、静かに過ごしたい人もいます。
何年たっていても、お彼岸が近づくと寂しさが強くなる人もいるでしょう。
その人なりの過ごし方を尊重することも、大切な支え方です。
「思い出させたらかわいそう」と思わなくても
支える側からよく聞くのが、
「亡くなった人のことを話したら、せっかく落ち着いているのに思い出させてしまうのではないか」
という心配です。
けれど、大切な人を亡くした方が、その人のことを忘れて日常を過ごしているとは限りません。
話題に出さなくても、心の中ではずっと思っていることがあります。
だから、
「今日はお彼岸だね。○○さんのことを思い出していたよ」
と自然に伝えることが、うれしいと感じられる場合もあります。
もちろん、その反応は一人ひとり違います。
だからこそ、無理に話を広げるのではなく、相手の様子を見ながら、話したければ聴く。
それくらいでいいのです。
お彼岸を「また一つ歩いてきた時間」として
大切な人を亡くしてからの日々は、決して一直線ではありません。
元気に過ごせる日もあれば、突然寂しくなる日もあります。
以前より楽になったと思ったのに、お彼岸や命日になると、また悲しみが強くなることもあります。
それは、元に戻ってしまったということではありません。
その人はその人なりに、大切な人を思いながら、今日までの日々を歩いてきています。
お彼岸は、
「もう終わりにしよう」
と区切りをつけるための日ではなく、
「ここまで歩いてきたんだね」と、一度立ち止まることのできる節目。
そしてまた、その人自身のペースで日常へ戻っていく。
身近な人にできるのは、その歩みを急がせることではありません。
その人が立ち止まりたいときには立ち止まり、思い出したいときには思い出せるように、そっとそばにいること。
お彼岸は、そんな支え方をあらためて考える時間にもなるのではないでしょうか。


