クライアントアンケート(長文)30代 男性 製造業 会社員 どんどん挑戦していける自分になりたい
30代 専門職 施術家 起業について
Q.なぜ山根のコーチングを受けられたんですか?
A.それまでに何度かお話しして、山根さんに相談したら何かが得られるという感覚があったからだと思います。
Q.山根のセッションを受けてみようと思った決め手は、何だったんでしょうか?
A.最初は、受けてみて、どうなるかの試しという事だったんじゃないですかね。
A.あとは、その時の自分自身の状況、この時に何か力が欲しい、何かヒントが欲しいという自分の状況があったと思います。他に、何も当てがなかったというのもあったと思いますね。
Q.最初に、セッションを頼まれる時には、何かハードルがありましたか?
A.それは、無かったですね。
Q.それは、何故だったのでしょうか?
A.・・・・・・・う~~ん
Q.では、もし、インターネットで調べて、会ったことも無い人に、セッションを頼むとしたら、何がハードルになったのでしょうか?
A.あーっ、それなら、お金を払うというのも、ハードルでしょうね。一回数万円として、その結果の予測もつかないですし、、、
A.それを言うと、予想とか予測というのは、もちろん当たる事は無いのだけども、この人だったら、ある程度何かが得られるだろうと思えるのか?そこの確信があるかどうか。そう思えるかどうかが分からないじゃないですか。
逆に言うと、ある程度、知ってれば、この人は、こんな力があって、人脈があって情報とかを持っていそうだからとか、ある程度は自分に得られるモノがあるのじゃないかと予想が付くんですよ。
インターネットで調べて見つけた、全く知らない人でも、まあ何かが手に入るとは思うのですけど、全く予想が付かない
人によると、払った金額と比べて、損得で考えるかもしれませんが、私はそうではないですね。何かが手に入れば、それがキッカケになって変わっていくかもしれないですから。欲しい時には何でも良いんですよ、何かが手に入れば、それこそ、”藁をも掴む”みたいな。
何かが手に入るかどうかを、どれだけ強く思えるかどうか?それは、その人をどれだけ知っているかどうかで、随分違ってくると思うんですよ。
Q.先ほど、ハードルが無かったと言われたじゃないですか?という事は、その時には、今言われた事が埋まっていたという事でしょうか?
A.そういう事ですね。
山根さんとは、それまでに会って話していて、何か分からないけど、何かが手に入るかもという確信が持てていたという事になりますね。
A.何かが手に入ると思える。それだけでも大きいんじゃないですかね。
Q.コーチングを受けられて良かったことを教えてください。
A.沢山あるのですが、まずはお金を払ってプロとして有料で相談に乗ってくれる方が身近に居なかったということです。
相談に乗ってくれる人はいくらでもいるんだけど、でもプロという立場で相談に乗ってくれる人はいないんですね。
お金を払うっていうのは、逆に言えば、今日ここでコーヒーを飲むということはその値段に対してコーヒーというモノが出てくるわけじゃないですか、例えば無料の相談というのはそういうものが発生しないと思うんです。そこには責任もモチロン無い。
なんと言うか、ただ相談するだけなら、会話なら何でもいいんですよ。でも、それがセッションという風に時間を決めて、その事について、ひたすら向き合うという事によって、別物になるというか。
それが他の人との相談の中では無いと言うか、いい加減になってしまうと言うか。そもそも友人への相談では、良いアドバイスがあるかもしれないですけど、友人だったら向き合うとか、そういうものには成らないないんですよね。
コーチングセッションは講義とかセミナーみたいなもんだと思うんですよ、その時間そのことについて向き合うと言うか。
その時は友達同士の会話じゃなくて、私はワークショップの受講者なんだと思うんですよ。その時間そのテーマに対して向き合うということができるわけですよね。自分自身も真剣に出来ますし。
1時間なら1時間、そのテーマに対して、お金を払って、自分だけの専用の時間を確保するという事は、全く別物になると思うんですよ。そのセミナー講師と懇親会で飲んでる時の話しとは、全く別物ですよね。その時も、気づきとかはあるかもしれないけど、ワークショップの中とは、違うと思うんです。
だから、そういうモノを提供してくれる人が居なかったので、コーチングセッションというモノが、私には貴重だったんですよ。
受ける方の側からすれば、お金を払う事で、自分のスタンスも変わって真剣に、その時間の中で向き合うという事が、出来たという事じゃないですかね。
それが違いなんだと思います。
それから、例えば友人に相談して、経営のアドバイスとかを貰っても、コーチングセッションって、アドバイス以外が多いじゃないですか、自分で見つけるみたいな。
お金を払って相談できた事自体が、良かった事ですね。
Q.もしお金を払わずにセッションを受けたらどうなったんでしょう?
A.それは、全く別物だと思います。
ただ、山根さんという色々な事に詳しい友人に相談したというだけで、ただそれだけになるんじゃないですか。
Q.じゃあ逆に、お金を払って受けたとしたら、どうなるのでしょうか?
A.それは、例えば1時間とかをその事だけに使った、セミナーのワクを買ったという事じゃないでしょうか。自分だけの為の時間を手に入れて、その時間を他の事を遮断して、自分の持ってきたテーマに対して向き合えたというのが、大事なんじゃないですか。
お金を払って、自分も集中して向き合った時間は、重みが違うんですよ。いつでも良い、なんでも良いじゃないじゃないですか。
山根さんと話していると、話題がどんどん掘り下げられて、毎回思いもよらなかった答えが私の口から出てくるんですよね、あれは不思議ですよね。
話しているうちに具体的に切り分けられていくので、大きな問題だと思っていたのが、だんだんと小さな問題になっていって、これなら何とかなるという感じになるのが不思議でした。
Q.山根浩二の気に入っている点は、なんでしょう?
A.そうですね、今回数年ぶりに、会う事になって、今実際に話をさせてもらって、今回会う場所も、山根さんが続けておられる活動も、全くブレていないなーと思いました。そして随分時間が空いているのに、こんな風に普通に話せる事自体が凄い事なんだと、今話ながら気が付きましたね。
例えば、昔の親友とかでも、何年も経つと、違う経験をして、自分も変わるし、相手も変わっているので、お互い全く別のモノになっていて、全く話が合わないとか、そもそ合えないとか、会う事に勇気がいったりするのですよ。
それが、やっぱり人って時間とともに変わっていってしまうし、、、
それが、山根さんとは、こんなに普通に話が出来ているし、それは山根さんの中のブレない芯がちゃんとあるからで、その山根さんのブレない芯と、自分のブレない芯とが、話をしてる。自分の芯に沿って話をしてくれているから、話が出来ているんじゃないですかね。
A.それ自体が凄い事ですよ。そこが山根さんの力だとか、魅力じゃないですかね。
ホント、山根さんと話しているとビックリしますよ。自分の中に、こんな考えがあるんだーという事が、ドンドン出てくるんですよ。そういう考えが出るという事は、自分の中にあるはずなのに、それが分かってないというか、凄いですよ。人間ってそうなんですよね。自分の中にあるのに、まとまって無いという事なんでしょうね。
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Q.コーチングによってどんな欲求やニーズを満たそうとしてたんでしょうか?
A.そもそもの自分の気持ちとか、意思とか、ブレてる処とか、周りがどうこうじゃなくて自分はどうしたらいいのか?とか、どういう気持ちや動機があったのか?という処を引き出してくれるとか。
それに、( ゜д゜)ハッ!っと、気づかされたりとか、
山根さんからのいろんな質問を受けながら、持っているのに気付かなかったこととか、こんな思いがあるのにって言うのに自分で気づいてないんですよ。
それを山根さんが紐を解いて導いていかれると言うか。そして( ゜д゜)ハッ!と気づいてこんなことができるんだ。こんな思いが自分にあるんだとか。という処に気づかされるという事ですよね。
何で自分の中にあるのに気づいてないんだっていうところとか、それはホント不思議ですよね。
今セッションの時の事を振り返っていて気がついたんですけど、私がこれについてはこう思いますって言うじゃないですか、それについて山根さんが復唱された時に、今さっき自分が語ったことが、改めて山根さんから問い直されたみたいに感じて考えると、「いや違う!」と今自分が語ったことが本心からじゃなかったっていうのに気付くんです。
言うなれば私が普段だしているアンサーが、実はは違うということなんですよ。問い直されてみたら、改めて自分で考えてみて、そうしたら実は自分の本心からのアンサーとは違うということに気づいたりして、、、、、、あれは驚きでした。、( ゜д゜)ウォー
Q.実際に山根からセッションを受けてみてどうでしたか?
A.そうですね、自分んが実際に悩んでいた事について、悩んでいるクセに実は自分の中に答えがあったんだという事に繋がっていないという、摩訶不思議な現象になってしまっているのが、セッションという形で山根さんと話していると、自分の中の答えが出せてしまっているというか引き出されるというか、それで自分の中がクリアになるというかスッキリするというか、問題が解決するというかという処が凄かったですね。
Q.なるほど、そんな感じだったのですね、あの時には起業に対する相談だったと思うのですが、それについては、どうでしたか?
A.やっぱり、山根さんと話していると、自分の中が整理されていくという感じでした。必要な考えと必要でない考えとが、分けられてくるというか、整理されていく、、、自分の気持ちも含めて、”本当は何がしたい?”とか”本当はどうしたい?”とか”何が出来る?”とか、そういう事の整理でしたかね。
Q.セッションを受け続けてみて、どうなりましたか?
A.自分の本当の気持ちはどうなのか?という、そこが、自分に向き合うというか、知らず知らずに自分がそこに蓋をしていたというか、本当の気持ちは、そうじゃないのに、違う方向に動いていたりとか、、、自分の本当の処を引き出してもらえて、本心に気づいていきましたね。
なんて言うか、自分っていうモノが、例えば今日ここへ来るとかという行動をするじゃないですか。そういう行動をするという事は、何かの考えがあって気持ちがあって行動している筈なんですよ。その時は自分の気持ちはそうだから動いている筈なのに、実は心の奥底には、その気持ちが無い、、、
山根さんに聴かれて、自分の本当の気持ちをふっと考えた時に、「あっ自分が行きたいのは、実はここじゃないのに」と気づくというか、それが実は自分の先入観だったりとか周りの言葉の影響だったりとか、自分が知らず知らずに、自分の気持ちはそうじゃないのに、実は違う自分の気持ちみたいなのに、実は動かされているという事に気づかされるというのがありました。
”本当の気持ちは、そこじゃないですよね”という事に、山根さんに気づかされるというか、、、、
自分が進んでいるというか、進もうとしている処が、自分の気持ちで思ってる、自分がそこに行きたいから行こうとしている動きの中なのに、”いや、本当の気持ち、そこじゃないですよね?”と言われた時に、”ハッ”と、そうだその気持ちじゃ無いわ、、と気づかされるというか、、そもそもの動機を思い出したりとか、、、、
Q.それって、山根がどういう風に言った時に気づいたりしたのでしょうか?
A.それは話をしている中で、山根さんに質問されてに色々な事を喋っていくじゃないですか、で山根さんに質問されたから、自分の中から、山根さんにアンサー(答え)を投げかけるんですよ。
自分は質問されるから、それについての答えがこうだと思ったモノをポンポン出していくんですよ、聴かれるから答えていくという感じで知らず知らずにに出していくんですけど、フッとした時に、「あれ?さっきのアンサーと、今のアンサーとが何か矛盾してないですか?」とか、「あれ?、じゃあこのアンサーとさっきのアンサーとはどうなっているんですか?」とか聴かれた時に、”あれっ”ってなるんですよ。
自分は、そう思って、そのアンサーを出して来たのに、気が付いたら、そのアンサーがオカシイアンサーが出ているんですよ。自分の出してる、アンサーや反応が、、、
なんでそんな答えを出してしまったんだろうという事を辿っていくと、そのアンサーが本当の自分の気持ちとか、それが良いと思って出したアンサーじゃなくて、何かに盈虚を受けていたりとか、こうじゃないといけないと、勝手に自分の中に作り出されたアンサーだったりして、「あっ自分は出したいアンサーは、ここじゃなかったんだ」という事に、気づくというか、気づかされるというか。
「あれっ???」怖っ、、、、と
Q.それって、本当は自分は矛盾が無い事を言っているつもりなのに、「あれっ、それってさっき言われた事と違いますよね?」と言われた時に、どっちが本心だったか?という事を考えられて、じゃあ最初に言った事が、実は本心じゃなかった、、、という事に気づくという事でしょうか?
A.正にその通りでした、自分が何でそんな答えを出してしまったんだろう、自分がそれは正しい気持ちだと思って出したアンサーを、紐解いていくと、何かに縛られていたりとか、自分のホント本心の気持ちじゃなくて、誰かの発言とか周りの影響とか、自分がこうじゃないとイケナイとかの先入観によって、答えを出しているという事が、山根さんと話していると紐解かれてました。
まあ、そんな機会は普通無いですね。
だって、普通他の人との会話って、自分がそうだよねって思っているアンサーでのやり取りが行われているじゃないですか、そしてそこで会話が成立している。お互いに、こうだよ、ああだよ、っていうのを投げあって会話が成り立っている。
Q.表面的な会話で、終始していると?
A.そうです、でもその時は、それが自分の本心のアンサーだと思っているから気づかない。
「今フッと思ったんですが」先ほど話した、過去に盛り上がった話が出来た人たちとも、時間が経つと、話がかみ合わなくなってしまう人がいるとか、会えなくなってしまうというのが、実は合わなくなる人とは、そのアンサーの部分でズレていた処で会話を合わせていたんじゃないかな?と、、そして、表面的なアンサーが変わっていくと、フッとした時に、あっ違うと離れていってしまう。とそういう事が起きていたかもしれませんね。
それが山根さんとだったら、自分の本当の処と向き合うから、向き合わせてもらえるから時間が経っても違和感無く話が出来るのかなと。
山根さんだったらブレないで、本当の自分に会わせてくれるというか、本当の自分が出てくるという事じゃないですかね。
A.「今、凄い事しゃべってますね」なんで、自分が出しているアンサーが自分の本心じゃない事を出してしまっている、、、
そして、そこに気づけない。
そして、普段はその本心じゃないアンサーで会話が成り立っている。
Q.成り立っているんですかね?
A.成り立っているように、見せているかもしれませんね。成り立っているような気がしているのかもしれません。本心で会話している訳でもないので、だから何かもどかしさを感じたりするのかもしれません。
Q.じゃあ、普段は本心を出せる場というのが、そもそも無くって、セッションの中で本心で話が出来る機会が、どれだけ貴重な時間なのか?ということですかね。
A.そうですね。。。。
本心じゃないアンサーで、そもそも普段の会話が成り立ちますもんね。自分の本心じゃないアンサーで会話が成り立っているのが、社会なんじゃないですか。
自分が本心で生きていない事に、何の疑いも無く違和感も無くアンサーを出して、それに気付けないという事は。。。怖い事でもありますね。
でもその違和感という事は、24時間365日あり続ける訳ですから、なんとなく気分が乗らないとか、苦しんだりとか、、、でも本心からじゃないという事に気付けないから、自分が本心で生きているつもりなのに、苦しいとか違和感に気づいていないから、改善も出来ないで、誤魔化して毎日を過ごしている人が、ほとんどなんでしょうね。特に労働者とか組織の中、コミュニティの中で働いている人とかは、そうなんじゃないですね。
その中で、立場とか人間関係から本心とは違うアンサーを出し続けて、なんとかやっているのでしょうね。
Q.なるほど、じゃあ、その本心からのアンサーが出てきたら、どうなっていくのでしょうね?
A.本当のアンサーが出てきたら、もっと一日が充実しているだろうし、やりがいとか生きがいとかがあって、時間を過ごせているんでしょうね。毎日自分のやっている事に没頭出来る時間の過ごし方が出来るのでしょうね。
そういう意味では、今毎日、何かに没頭出来るという事ではないので、、、自由な時間とかはあるんですけど、没頭しているとか生きがいとか、やりがいとかに生きている訳ではないですね。
Q.じゃあ聴かせてください。本心からの使命に気が付いたら、どうなるのでしょうか?
A.全てが上手く、繋がっていくというか、自分がやりたいとか、周りが喜ぶとか誰かの為に成るとか、、、が一つに繋がっていく、、、、そんな時間の過ごし方に成ると思います。
Q.もし、山根のセッションを受けていなかったら、どうなっていたのでしょうか?
A.そうしたら、本音じゃないアンサーで、人生が進んでいたんでしょうね。他の人の様に、矛盾を抱えながら、生きていたのでしょうね。違和感があるのにも気づけないし、自分の本当の気持ちは、そうじゃないから、結局上手くは行かないでしょうね。
上手く行かなかったとしたら、そこで気付けば良いんですけど、気づけないとしたら?
同じ事の繰り返しというか、、、その時自分の出しているアンサーが自分の本音とズレているとしたら、さまようだけでしょうね。
本心に蓋をして生きていくという状態かもしれません、、、
本当にやりたい事は、何なのかなー?という状態が続いているのが、そんな状態かもしれません。
Q.山根から受けられていたセッションで、山根がやっていたのは、どういう事をやっていたのでしょう?
A.それは、私が、どういう気持ちですか?とか
何を、どうしたいのか?
現状を踏まえて、今どういう状態ですか?とか
そういう、質問を山根さんが、されるじゃないですか、、、
それに対して、私が、「こう思っています」とか「こう思っています」「こうしたいです」「こんな風に成りたいです」という感じに、問いに対して、浮かんだ答えを、言うじゃないですか。
そうしたら、山根さんが「それはこういう事ですか?」と聴かれるじゃないですか。
違う表現もされますけど、違う聞き方で、(・□・;)ハッと、何かが頭の中に浮かぶ事もありますし。
他にも「どうして、そういう気持ちになったんですか?」と聴かれたり。
「それは、どういう事か?」
「何が怖いのですか?」
そんな感じで聴かれて、私が答えた事について、更に聴かれて、私が答えていく中で、自分でアレッ?っていう事が出てくるんですよ。
山根さんに聴かれて、最初に出した答えは、凄くいい加減なものだったんですよ。聴かれてポンと出したんですけど、その、フワフワ浮かんでいるようなアンサーに対して、「本当はどうなのか?」とか「それって本当ですか?」と聴かれた時に、何気なく出したフワフワしたアンサーが”(・□・;)アレ”っていう風になるんですよ。
A.えっ、このアンサーで良いの?と
よくよく考えてみたら、そのアンサーが自分の不安とか恐れから出ていたり、自分が勝手に作り出していた思い込みから出ていたりとかに気づくという事が起こっていました。
そうすると、一瞬自分の中に動揺が走るんですよ。
自分がだしたアンサーに対して、違和感があるって、”どういう事?”と。自分がそれが良いと思って出した答えに対してフッと気が付いたら、”あれっこれ出したかった答えだったっけ?”と思うんですよ。
その時には、まだ何故かに気付けなくて”あれ、何でだっけ?何でだっけ?”という感じになるんです。
そして、そこには時間が必要なんですよ。
自分で、”何でだっけ?何でだっけ?”と考えていって、結局”アレっ、違ってるわ”という事に気づくんですよ。
それを言うと、如何に自分以外の外部からの影響によって、自分の意見が形作られているという事ですね。知らず知らずに。
そこに違和感も感じずにです。
普段、自分が喋っていて、本当の自分って別に居るみたいな。。。
普段しゃべっている自分って、本当の自分じゃないって、すごい事ですよね。でもそれに気づけない。
自分の中にあった答えが、出ていない。
でも自分だけでは、気づけないし。いつものアンサーが正しいと思っているし。
Q.山根のコーチングセッションでは、そういう事をやっていたという事になるのでしょうか?
A.そうですね。そういう事じゃないですかね。
Q,コーチングセッションの中で、どんな事が得られたのでしょうか?
A,自分がしゃべっていた事の中から、可能性みたいなモノが引き出されるというか。こんな風に出来るかもしれないという事が、示されるというか、見えるというか。
本当の自分というものに向き合って、内側の奥底と向き合って、気持ちを整理して、本当の自分の気持ちはこうじゃないという事に気づいて、本当の自分が”こうしたい、ああしたい”というのに気づいて、それから外に向かって働き掛ける、周りにどう関わって行けるのかが見えてくる。
本当の自分ではない時に出したアンサーは、蜃気楼みたいなモノなんですよ。そうじゃなくて本当の自分と向き合って可能性とかが出てきて、こんな事出来るんじゃないかと、本心から自分がしたい事、出来そうな事、そこに気づかされるという。。。
自分がしたい事と、出来そうな事が同時に見えて、ビックリするんですよ。
自分が描いてきた、やりたい事よりも、本当に自分がやりたい事は、こっちじゃないって。そこに又ビックリするというか。
自分の夢が違っていた事に、気づくというか。
A.良くセミナーとかでも本でも、自分の夢を描けとか、語れとか言うじゃないですか。でもそもそも、その夢が本心からとは間違ったモノだとしたら、凄い事ですね。よくPDCA・PDCAとか言われますけど、そもそもの目標が違っていたら、叶うわけ無いというか。
以上