中国のお盆「清明節」
【春節の思い出】餃子スープ
日本語校正:迪朗 恵子
春節、「過年」とも言いますが、中華民族が最も重視している伝統的な祝日です。幼い頃、冬に入ると毎日お正月を楽しみにしていました。新しい洋服を着る、お年玉をいただく、毎日美味しいものを食べられることが待ち遠いしかったです。来日した後、あまり春節を祝なくなりましたが、春節が来る度に、子ども時代のお正月の時の楽しい出来事を思い出します。
芥川賞受賞者であるハルピン出身の女性作家楊逸が『美味しい中国』という散文集の中で、子ども頃お正月の時に冷凍餃子を作った時の面白い思い出を書いています。それぞれの家で作った餃子を外に出して冷凍したのですが、茹でてみると、自分の家で作ってない餃子が中に入っていて、よその家の餃子を食べることができたのです。例えば自分の家では豚肉の具の餃子を作っていたのに、三鮮の具や牛肉の具の餃子なども入っていて、他の味の餃子を食べることができました。それでも大人たちは皆全然気にしません…私も子どもの時に大人から変な話を聞いていたのです。それは、いろいろな餃子をチョウセンイタチが運んできたという話です。中国の東北では、チョウセンイタチは「黄大仙」と呼ばれています。このような呼び方から想像できるように、東北の人々はこの野生動物に畏敬の念を持っています。もしかしたら、「黄大仙」は近所の人々が仲良くになって、ともに裕福になることを望んでいるから、近所の人々の餃子を交換したりしていたのでしょうか。冷凍餃子で最も忘れられないのは、子どもの時に叔父さんと一緒に食べた「餃子スープ」です。
私は子どもの時にお婆さんの家で育てられました。お婆さんは山西省の人で、麵食を作るのがとても得意でした。お正月が近づくと早々と冷凍餃子を作り始めます。一つ大きなボウルを使って餃子の餡を作っておいて、お婆さん、3番目の叔母、叔父、4番目の叔母と私で大きい食卓の周りを囲み、長い時間をかけて大ボウルいっぱいの餡を全部餃子の皮に包み終えるまで一緒に餃子を作ります、その数、数百個あったと思います。作った餃子をマイナス20数度の室外に置くと、すぐ凍ってしまいます。凍った餃子を布製の袋に入れてそのまま外に保存し、お正月の時に、来客をもてなす時や食事を作る時間がない時に茹でて食べます。
ある年、お婆さんはお正月用の餃子を作った後、南の方の3番目の叔母のところに正月を過ごしに行きました、叔父、4番目の叔母と私は家に残っていて、大晦日の夜に叔父が私たちの為に冷凍餃子を茹でることになっていました。大晦日の夜、私と4番目の叔母は提灯に火を灯して正月の賑わいを見に行こうとしていました。叔父は私たちに「早く行って早く帰ってね、餃子を食べるから」と言いました。私と叔母は『わかった』と返事しながら提灯を手に外へ出かけました。他の人が爆竹や花火をするのを見ていて、手足が感覚を失い、寒くて動けなくなった時に、家に帰って餃子を食べることを思い出しました。家に戻ると、叔父が友人と食卓を囲んでトランプをしているのが見えました。「餃子は?」と尋ねると、叔父は「あっ」と大声で叫んで椅子から飛び上がり、台所に走っていきました。間もなく彼が部屋に戻り、私と友人に向かって「今日は、餃子スープを食べるよ」と大声で言いました。私は台所へ走りました。鍋の蓋をあげてみると、湯気がいっぱい上がってきた鍋に、破れた餃子の皮や具などが鍋いっぱい踊っていました。見た目はそんなによくないけれど、美味しそうな香りが広がりました…叔父は餃子を鍋に入れた後、すぐにトランプをしに行って、餃子を忘れてしまったのです。
その日、私は叔父、叔母と叔父の友たちと一緒に大晦日の夜に鍋いっぱいの餃子スープを食べながら楽しく賑やかに過ごしました。食べ終わったら、体中がぽかぽかと温かくなりました。
今年の春節は新型コロナウィルス感染症のため皆は外へ行けなくなって、叔父一家は両親の家に来て、叔父が調理を仕切って、食卓いっぱいの美味しそうな料理を作りました。叔父の奥さんは年越し料理の写真を微信(weChat)にアップロードし、会えない親戚たちに見せました。叔父の作った手料理を見て、私はその料理を食べられる人たちをとても羨ましく思いました。そしてふと子ども時代の大晦日に食べたあの「餃子スープ」の事を思い出しました。数十年が過ぎ去って、叔父が作った料理も数えきれないほど食べましたが、みんな忘れてしまい、ただその失敗した「餃子スープ」だけが昨日のように思い出されます。叔父が餃子スープを食べると言い放った時の落ち着いた様子、誰も叔父を責めることなく、喜びとともに大鍋いっぱいのおいしい餃子スープをお腹いっぱい食べた時の満足感が、子ども時代のお正月のいろいろな思い出とともに心に深く甦ったのでした。
【中国語原文】
饺 子 汤
刘凤雯
春节,又叫“过年”,是中华民族最重视的传统节日。小时候,一进冬天就天天盼着过年:期待穿新衣服、得压岁钱、天天吃好吃的东西……来日本以后,很少过春节。每逢春节,都会想起童年时那些过年的快乐往事。
芥川奖获奖女作家哈尔滨人杨逸在她的散文集《美味中国》中,曾谈到幼年过年包冻饺子时的趣事:每家把包好的饺子冻在室外,等煮冻饺子吃时,却能吃到自己没包过的饺子。比如说自己家明明包的是猪肉馅儿饺子,却吃出了三鲜馅儿、牛肉馅儿的饺子!可大家却都不太在意……我小时候就听大人们说过这种奇怪的事儿,据说是黄鼠狼搬家搬的。在中国的东北,把黄鼠狼称为“黄大仙”,通过这种称呼可以看出东北人对这种野生动物的敬畏之心。也许“黄大仙”是想让邻居们友好相处、共享富贵,才把邻居们的冻饺子互相换了的吧。谈起吃冻饺子,最难忘的还是童年过年时和小舅一起吃过的“饺子汤”。
我从小长在姥姥家。姥姥是山西人,做面食非常拿手。一到过年,早早就准备包冻饺子。用一个大盆和(huò )好饺子馅儿,姥姥、三姨、小舅、小姨和我几个人围在大餐桌周围,花很长时间把一大盆饺子馅都包完,足足有几百个。把包好的饺子放到夜晚零下二十几度的室外,很快就都冻上了。把冻饺子放入布袋里,就放在室外保存着,等过年招待客人没有时间做饭时煮了吃。
记得有一年,姥姥包好我们过年用的饺子后,就去南方三姨那里过年了,留下小舅、小姨和我,年三十儿晚上,由小舅给我们煮冻饺子吃。年三十儿晚上,我和小姨点起灯笼,要到外面去看热闹。小舅对我们说:“去去就快点儿回来,一起吃饺子啊!”我和小姨答应着,提着灯笼就到院子里去了。看别人放鞭炮、烟花,冻得手脚都要僵直不会动了的时候,才想起回家吃饺子的事。回到家里,看到小舅正在和伙伴们围着餐桌打扑克。我问他:你煮的饺子呢?小舅“啊!”地大叫一声从椅子上跳起来,跑到厨房去了。不一会儿,他回到屋里,对着我和他的伙伴们大声说:“今天,我们吃饺子汤!”我从他身边钻过去跑到厨房,揭开锅盖、透过迎面而来的白色水蒸气仔细一看:满锅的饺子皮和饺子馅飘在汤上面、虽然样子不好看,可香味扑鼻……小舅煮上饺子后就去打扑克,把冻饺子忘在锅里了!
那天,我和小舅、小姨及小舅的伙伴们一起在除夕夜,高高兴兴、热热闹闹地吃了一大锅饺子汤。吃完后,全身从里到外都感觉热乎乎的!
今年过年,因为新型冠状病毒感染的关系,大家都不敢出门。小舅一家人来到我父母家,由小舅掌厨,做了一大桌子美味佳肴。舅妈把年夜饭的照片晒到微信群里,给各地的亲戚朋友看。看着小舅的杰作,我对在场的人羡慕不已,不禁又想起小时候除夕夜吃的那顿“饺子汤”来。几十年过去了,吃过无数次小舅做的佳肴,却都忘记了,只有那次失败的“饺子汤”还记忆犹新。小舅宣布吃饺子汤时那从容不迫的样子、大家毫不责怪、高高兴兴把一大锅香喷喷的饺子汤喝完的那种愉快气氛,伴随着童年过年的种种往事,一幕幕重映在我的眼前。