ハルピンの夏(その一)ハマグリ狩り
【春節の思い出】お 年 玉
日本語校正 田島 かずみ
幼い頃、夏の楽しみはアイスキャンディーでした。あの頃のアイスキャンディーは1本三分でした。小学生の頃の記憶では、アイスキャンディーが入っている魔法瓶を手に持ち、「アイスキャン ディー…アイスキャンディー…三分、五分…」と声をあげながら売り歩くお婆さんがいました。その売り声が聞こえると、庭で遊んでいた私たち兄弟はすぐ家に戻り、静かに父のところに入ってい きます。私たちに背を向けて書き物に専念している父は、私たちが部屋に入る目的に気づき、手を 伸ばしてズボンのポケットから一毛のお金を取り出して、私たちに 「アイスキャンディーを買っておいで」 と言います。私たちは喜んでお金を受け取り、ご褒美をもらったように部屋を飛び出して、ゆっくり歩いていてまだ遠くに行っていないアイスキャンディーのお婆さんを追いかけていくのでした。 「アイスキャンディー…アイスキャンディー…三分、五分…」 その独特な抑揚の売り声はずっと耳に残っていて、子ども時代の甘い記憶になっています。
冬の楽しみはお年玉です。 私の家は女の子が多く、そんなに爆竹をやりません。父は年末になると大晦日の深夜用に七百連発の爆竹を事前に買い、また私たち女の子用に少しの花火を買ってくれました。私は幼い頃「二踢脚」という二連発の爆竹を点す時に驚かされたことがあったほか、ある年の大晦日の夜に、家を出たとたんに着替えたばかりの新しいズボンに近所のいたずらな男の子の「二踢脚」が当たってしまい、穴をあけられたことがあったため、爆竹にはあまり興味がありませんでした。 年末に叔父が来た時にこっそり私に教えてくれたことがあります。
「おじさんはおまえたちにお年玉を用意したよ。しかも一人に一元、全部新しいお札に換えておいたんだよ。」 叔父は就職したばかりで、私たちのお年玉のためにわざわざ銀行に行ってお金を新札に換え、ただ正月が来るのを待っているのでした。 大晦日の夜、私たちは新しい服、新しい靴下に着替え、ソファーに座って待っていました。母が年越しの料理を準備している間のことです。父は神妙な顔をして、寝室から出てきました。そして 手を空中に出して手品をしているように一枚の五毛の新札をかざしました。さらにその一枚かと思 ったお札をねじって四枚にして見せました。そして満面の笑みで私たち兄弟の手に一枚ずつ分けて くれました。その五毛のお札はピカピカで、紙質が普通の五毛よりずっと硬く、色も鮮やかでした。なるほど、五毛お札のデザインはこんなにきれいなんだね!普段見るお札は柔らかくて汚い、ほとんど元の色がわからない!私はじっくり観察したあと、用心深く普段あまり使っていない財布に入れておきました。この五毛のお金は長い間使いきれませんでした。あの頃、私は使えるお金が めったになく、ほとんどお金の使い方を知らなかったのです。
叔父が来ました。彼は自転車でお祖母さんの家から来ました。体には東北の冬の厳しい寒さをまとっています。彼は嬉しそうに帽子、マフラー、手袋、ジャンパーを取り外し、急いでズボンのポケットからお金を取り出して私たちにお年玉を配ろうとしました。私たち子どもたちは目を大きくして叔父さんに期待していました。これは彼が仕事を始めてから初めて私たちに配るお年玉なんです! ところが叔父の手はポケットの中で止まり、出しません。顔色は見る見るうちに悪くなりました。母が、「どうしたの?なくなったの?」 と尋ねました。叔父はすべてのポケットを探しましたがやはりありません。「私は確かにここに入れておいたんだ!」 彼は自分の右側のズボンのポケットを指しながら言いました。「自転車に乗ってる時に落ちたのじゃないかなあ、早く戻って探してごらん」 と母は言いました。叔父はすぐ服を着て探しに行きました。長い時間待った後、叔父はがっかりした表情で帰ってきました。なかったんだ! 「残念だ、全部新札に換えたのに!」と叔父は大変落ち込んで言いました。母は、「新札は硬くてツルツルだからきっと自転車に乗ってる時に外に滑り落ちたんだよ。」と言いました。 私たち子どもはとてもがっかりしましたが、顔に出して叔父を困らせることもできません。私はソファーの端に座って思いにふけりました。ピカピカの一元札が叔父の自転車を漕ぐ脚の動きに合わせてズボンポケットから一枚一枚滑り落ち、軽く道や雪の上に舞い落ち、東北の冬の真っ暗な夜に走る車のタイヤの下に入り、新札たちがタイヤの隙間に貼りつき、遠くに行ってしまい…また深い雪の下に埋まるお札もあって、道に凍り付き、また新雪に覆われ、それを知らない雪かきの人に掘り出されて道端に積まれ、春になって溶けた雪水や氷水と共に遠くに流れていく…私の心の中は残念でいっぱいでした。あんなにピカピカな一元札が使われることもなく、このように消えていくなんてとても惜しいですね。
その後、幼い頃はたくさんのお年玉をもらいました。金額も経済条件の好転につれ、少しずつ増えていきましたが、叔父からもらえなかったその一元新札のお年玉だけがずっと心の奥に残り、忘れられません…
この間ゴールデンウイークにハルピンに帰省しました。叔父は熱心に観光に連れてくれました。彼はもう六十歳を過ぎ、バスに乗る時には高齢者乗車カードを使って無料乗車ができますが、私たちのために毎回乗車用の小銭を用意してくれます。バス停に着くと彼はズボンの右ポケットから用意した一元札取り出して私たちに配ります。私はお金を受け取った時、急に幼い頃もらえなかったその一元札のことを思い出しました。あの時彼があのお金をなくさなかったら、きっと今のように私たちに配ったのでしょう。彼は以前と同じようにお金を右のズボンポケットに入れています。けれど、彼はもうめったに自転車に乗らなくなり、このお札も古くて柔らかくピシッとしていないので、不注意でポケットから滑り落ちる心配もありません。
【中国語原文】
压 岁 钱
刘凤雯
小时候,夏天的期待是吃冰棍。那时候,一根冰棍儿三分钱。记得是上小学的时候,有卖冰棍儿 的老奶奶,手拎着冰棍儿壶走街串巷,嘴里吆喝着:“冰棍儿――冰棍儿――三分儿、五分 儿――”。三分一根儿的是糖水冰棍儿,五分一根儿的是奶油冰棍儿。听见吆喝声,我们几个在院子 里玩儿的孩子就马上跑到屋子里,静静地走到父亲身后。背对着我们正埋头写作的父亲,知道我们进 屋儿的用意,伸手从裤兜里掏出一毛钱,对我们说:“买冰棍儿去!”我们高兴地接了钱,就像得了 大赏似的飞跑出屋去,追赶慢腾腾挪着脚步的、还没走远的卖冰棍儿的老奶奶去…… “冰棍儿――冰棍儿――三分儿、五分儿――”那抑扬顿挫的吆喝声,一直留在脑子里,成为童 年回忆里的一段甜蜜。
冬天的期待是过年时的“压岁钱”。 我们家女孩子多,不怎么放鞭炮。父亲在年底提前买好七百响的连鞭准备着等除夕午夜时放,还零买了一些烟花给我们几个女儿放。除了小时候放二踢脚时被吓过一次以外,有一年过年,除夕换上 的新裤子,刚一出门就被邻居男孩子恶作剧的二踢脚崩了一个洞,所以我对烟花爆竹不太感兴趣。年底小舅来我家时偷偷告诉我:他为我们准备了压岁钱,一个人一块,全换成新票儿了!小舅刚刚上 班,为了给我们压岁钱,他特意去银行把钱换成新的纸币,就等着除夕夜来临了。 除夕晚上,我们换上新衣服、新袜子,坐在沙发上等着。母亲在准备年夜饭,父亲一脸神秘地从 卧室里出来,像变戏法似的变出一张崭新的五毛钱纸币,又把一张纸币捻成四张,满脸笑容地把它们 一张张分到我们四个孩子手里。那五毛钱崭新崭新的,纸张比一般的钱硬挺很多、颜色也很鲜艳。原来五毛钱的图案这么好看!平时看到的钱又软又脏,几乎看不出细小的花纹,根本看不出原来的色彩。我仔细端详着,然后把它小心地放进很少放钱的钱包里。这五毛钱很长时间都花不完,那时候我 很少有钱花,所以几乎不会花钱!
小舅来了。他骑自行车从姥姥家来,身上带着东北严冬里的寒气。他兴致勃勃地摘掉帽子、围 脖、手套,脱掉外衣,急急地从裤兜里往外掏钱:他要给我们发压岁钱了!我们几个孩子瞪着眼睛期 待着小舅,这是他工作以后第一次给我们发压岁钱! 小舅的手停在了裤兜里没拿出来,他的脸色变得越来越难看。母亲问:“怎么了?丢了?”小舅 翻遍了所有的口袋,还是没有:”我明明就放在这儿了!”他指着自己右边的裤兜说。“是不是骑自行车的时候掉出去了?快回去找找!”小舅马上穿好衣服回去找了,等了半天,他回来了:没找到!小 舅一脸丧气:“可惜了,我都换成了新钱了!”母亲说:“新钱硬,又滑溜,估计你骑车时滑出去 了。” 我们几个孩子失望极了,又不好意思表现出来让小舅难看。我坐在沙发的一角静静地想着那些崭新的一元钱,随着小舅蹬自行车的腿一上一下,从裤兜里一张接一张地滑出去、轻轻飘在路上、雪地上,东北漆黑的夜里汽车开过来,从钱上开过去,把一元钱粘在汽车轮胎的缝隙里,开到远处去;或 者把它们压扁在雪地上,冻在路面,又被雪覆盖住,被不知道的除雪的人铲起来堆在路边,等春天随 着融化了的雪水流到远处去……我的心里充满了惋惜:那么新的一元钱,不花就这样消失了,太可惜了!
小时候得过很多次压岁钱,钱数也随着经济条件的好转慢慢增加,可小舅的那没有得到的崭新的 一元钱压岁钱,却始终留在心里念念不忘……
有一年黄金周,我回故乡哈尔滨探亲。小舅热心地带着我们几个出去观光。他已年过六 十,出门坐公交车时使用老年乘车卡可以免费的,可他每次都为我们准备坐车用的零钱。我们走到车站后,他就从右边裤兜里掏出准备好的一元钱发给我们。我接过钱时,脑子里猛然想起小时候那没有收到的一元钱压岁钱:要是他没丢,就应该是现在这样子发给我们的吧?他和以前一样,还把钱放在右边的裤兜里呢!不过,他已经很少骑自行车,这钱也是旧钱,又软又不平整,不必担心不注意它们会从裤兜里滑出去了。