中国のお盆「清明節」
【春節の思い出】「二踢脚(ばくちく)」事件
また年に1度の春節がやってきました。この時期になる度に、異国に暮らし、親戚や友人と一緒に過ごせない私の脳裏には、春節に関するいろいろな思い出が次から次と浮かんできます。まず、私の「二踢脚(ばくちく)」事件をご紹介しようと思います。
「二踢脚(Èr tījiǎo)」は爆竹の一種で、点火後、大きな音と共に二回炸裂します。一回目は地面で炸裂し、空中に上がったところでもう一回炸裂するのですが、二回目の音は一回目ほど大きくありません。「二踢脚(Èr tījiǎo)」は男の子に人気の、なかなか刺激的な爆竹です。
幼い頃、両親は共働きで忙しく、私はよく母方の祖母の家に預けられていました。今になっても私は祖母方の親戚とは親しく、特に小さい頃面倒を見てくれた12歳年上の叔父には親しい感情を抱いています。この「二踢脚(Èr tījiǎo)」事件は、小学校に入ってすぐの冬休みに起こりました。そして、それは叔父と大きく関係しています。
旧暦12月23日の「小年(かまどの神様を祭る日)」を過ぎると、祖母と二人の叔母は少しずつお正月の用品を買い、大掃除をし、新年を迎える準備に勤しんでいました。やっと手を休めることができるのは、大晦日。家のあちこちがきれいに掃除され、椅子の足さえもピカピカに拭かれていました。年越しの夜は、みんなで食卓を囲んで餃子をつくります。祖母は山西省出身です。山西省は小麦の生産地なので、山西の人々は小麦を使った料理が得意です。少し自慢になってしまいますが、祖母と一緒に暮らしていた私は六歳の頃から餃子を作れます。祖母は、「この餃子のどれかに一分硬貨が入ってるのよ。その餃子を食べた人には福があるわよ」と言いました。実際は、一分硬貨は毎年叔父に食べられていました。なんといっても、彼はよく食べますから!包んだ餃子はコーリャン等で作った「蓋簾(盖帘儿gàiliánr)」という丸いお盆の上に並べていき、盆が一杯になったら戸外に運んで凍らせます。中国東北地方の冬は、夜になるとマイナス二十数度に達します。包んだ餃子を外に置いておくと、次のお盆がいっぱいになる前に凍ってしまいます。12時少し前になると、祖母は残っておいた凍っていない餃子を沸騰した鍋に入れ、叔父と私に早く爆竹を鳴らしに行くように促しました。12時に帰ってきたら一緒に餃子を食べるというわけです。
私と叔父は点火用の線香に火をつけ、提灯と爆竹を手に庭へ出ました。叔父が二百連発の爆竹に点火すると、ピーピーパーパー!と音がして、庭に火薬の匂いが充満し、途端に「お正月だ!」という愉快な気持ちになりました。今でも火薬の匂いを嗅ぐと、お正月のワクワクした気持ちになります。叔父は一本の「二踢脚(Èr tījiǎo)」を丸太の上に置き、それに点火するよう私に命じました。火のついた線香の先を爆竹の導火線に軽く当てると、導火線から出た火花がフーフー!と音を立てながら「二踢脚(Èr tījiǎo)」の中に入っていきました。私は急いでそこを離れ、両手を耳に当て、爆竹が大きな音を立てて天空へ飛び立ち二回目の音を鳴らすのを待っていました。しかし、しばらく経っても音はなりません。
おかしいなと思い叔父の方を見ると、叔父は爆竹の方へ首を振り、私に見てくるよう促します。私は近くに行って、頭を「二踢脚(Èr tījiǎo)」の斜め上に近づけました。その瞬間、バーン!と大きな音がして、爆竹が目の前で炸裂したのです。二回目の炸裂音は、私には聞こえませんでした。一回目の音が大きすぎて私の頭の中でウーンウーンと鳴り続け、他の音は何も聞こえなくなってしまったのです。
頭の中で大音響が渦巻き、私は、身体の感覚全てが遠くに離れていったように感じました。祖母が食事のために私たちを呼んだので、雲に乗ったような感じで、両足の長さが違っているように感じながら、叔父に付いて家の中に戻りました。祖母はすでに茹で上がった餃子を食卓に並べ、私たちを待っていました。私は祖母の傍に座り、餃子を数えながら食べました。ただ、相変わらずウーンウーンと耳鳴りがしていました。餃子を食べ終わった後、祖母は私にいくつ食べたか尋ねました。「38個!」と答えると、祖母はびっくりした表情で言いました。「100個の餃子を五人で食べたのよ。あなた一人で38個食べちゃったら、私たちは何を食べたのかしら?」それを聞いて皆が笑いました。が、私は笑いませんでした。そして、数え間違えたことに気づきました。なぜちゃんと数えられなくなったんだろう?私を注意深く見下ろしている祖母の顔に向かって、私は心の中で答えました。「しまった!あの二踢脚(Èr tījiǎo)のせいでバカになっちゃったんだ!」
「羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)」。それ以来私は二度と爆竹をしたことがありません。幼い頃のあの二踢脚(Èr tījiǎo)は、私の身体から一生分の「爆竹をする勇気」を吹き飛ばしてしまいました。
ある年の5月に故郷へ帰省した際、叔父は以前面倒を見てくれた時のようにハイキング、買い物、観光と、ほぼ毎日私に付き添ってくれました。私が「二踢脚事件」の話をすると、彼は目を大きく開けて「小さい子どもに二踢脚をやらせるもんか!」と、反論しました。私は驚きました。彼は忘れてしまったのか、それともそもそも知らなかったのか?神様!私にとって一生忘れられない大事件なのに、当事者の彼が全く記憶にないなんて!本当に不思議でなりません!
「耳順」を過ぎているのに男の子の純粋さを残している叔父の顔を見て、私は声を出さずに笑ってしまいました・・・
二踢脚事件
又迎来了一年一度的春节了。每到这一时刻,身在异国、不能和亲戚朋友一起欢度佳节的我就会浮想联翩,回忆起有关春节的各种各样的往事。在这里先跟大家分享一下我的“二踢脚事件”吧。
“二踢脚”是一种双响鞭炮,点燃后会发出两声巨响:一声在地面,用爆炸后的冲力将上面的一节鞭炮顶到空中,在空中炸响,因为离地面较远,所以听起来没有第一声那么响。二踢脚是一种男孩子们喜欢的比较刺激的鞭炮。
小时候,因为父母是双职工,工作忙,我大都是被放在姥姥家里。直到现在,我也是和姥姥家的亲戚关系近,特别是和小时候照顾我,比我年长一巡(十二岁)的小舅特别亲。这个“二踢脚事件”应该是发生在我刚上小学后的第一个寒假,也和我小舅大有关系。
过了小年,姥姥和两位小姨就慢慢开始购置年货、“扫尘”(就是年底的大扫除),直到除夕才停下手来。家里各处都打扫得干干净净,连椅子腿儿都擦得直反光。除夕晚上,大家围在饭桌边儿包饺子。我姥姥是山西人,山西省盛产小麦,所以山西人的面食都非常拿手。不谦虚地说,我六岁就会包饺子!这和我从小长在姥姥家里有直接关系。姥姥说饺子里放了一分钱硬币,谁吃了谁有福!其实姥姥家每年那一分钱都是小舅吃的,他吃得多嘛!饺子包好一盖帘儿,就拿到户外冻上。中国东北的冬夜,气温在零下二十几度,包好的饺子放在屋外,还没等下一盖帘儿包好,就都冻上了。快到十二点了,姥姥把留出来没冻的饺子下到滚沸的锅里,催我和小舅一起出去放鞭炮。放了鞭炮回来好和大家一起吃子夜的饺子。
我和小舅点上一根香,手提着灯笼、拿着鞭炮来到院子里。小舅点了一串二百响的鞭炮,“劈劈啪啪”响过之后,院子里随即充满了火药的气味儿,顿时燃起内心的“过年啦!”那愉快的感觉!我现在也是一闻到火药味儿就有过年的喜庆感觉。小舅把一只二踢脚放在一根木头上,让我点燃它。我用燃着的香头对准药捻子轻轻一碰,那火药捻子就亮起一串火花,“呼-呼-”地响着钻进二踢脚的肚子里去了。我急忙跑开,双手捂住耳朵,等着它一声巨响之后,冲到云霄里发出第二声脆响……可是半天它也不响。我很奇怪,看看小舅,小舅一摆头,意思是让我看看去!我就凑过去看,就在我把头探到二踢脚斜上方在那一瞬,它“碰”地一声,在我眼前炸开了……我没听到第二声响:第一声爆炸声太响了,它一直留在我的脑袋里,“嗡-嗡-”,别的声音,我什么都听不到了!
我的脑袋就这么嗡嗡地响着,身体上的所有感觉都好像离我很远似的。姥姥叫我们吃饭,我跟着小舅腾云驾雾般地深一脚浅一脚回到屋里。姥姥已经把煮好的饺子摆在桌子上等我们了。我坐在姥姥身边,一边吃一边数吃了几个饺子。耳朵里还一直在“嗡嗡”地耳鸣。吃完饺子,姥姥问我吃了几个饺子,我说“三十八个!”姥姥一脸吃惊,说:我煮了一百个饺子,我们五个人吃,你一个人就吃了三十八个,那我们吃什么呀?听了姥姥的话,一桌子人都笑了。我没笑,知道自己数错了:我怎么不识数了?望着姥姥附下来关切地看着我的脸,我什么也回答不出来,心想:完了!那个二踢脚把我炸傻了!
“一朝被蛇咬,十年年怕井绳”,那以后我再也没放过鞭炮。童年的那个二踢脚,把我一辈子放鞭炮的勇气都从身体里炸飞出去了。
几年前的一个五一回国探亲,小舅像小时候看我那样,几乎每天陪着我,去徒步、购物、观光……和他提起当年那次“二踢脚事件”,他大瞪着眼睛反问我:“我怎么能让一个小孩儿放二踢脚呢?”我很吃惊:他是忘了吗?还是根本不知道?天哪!对于我的那个没齿难忘的“大事件”,对于当事人的小舅,竟然是不存在的记忆!这太不可思议了!望着小舅那已过“耳顺之年”却仍显一派少年纯真的脸,我无声地笑了……