責は諸君にあらずしてこの日比翁助にあつたのである~三越の古典に学ぶ その11~
2024年6月20日付の『朝日新聞(朝刊)』に東畑開人さんという臨床心理士の方の「働き手不足から『有限性』を考える~「孤立する『面倒見のいい上司』」というコラムが掲載されていた。その主張の概要は以下の通りである。
人手不足の現代にあって、働き手に「いかに来てもらうか」ももちろん大切だが、「いかに居てもらうか」ということも重要だ。給与や労働時間などの待遇改善も大切だが、働き手は孤立するとき、働き続けられなくなる。だからこそ、職場に面倒をみてくれる人がいて心を許せるつながりがあることが必要だ。例えば、具合が悪くなったときに面倒をみてくれる“徳の高い”上司がいると有り難い。こうした“徳の高さ”は、その上司の人生経験の果実であり、個性であり、誰もが身につけている訳ではない。“徳の高い”上司は、熱心に部下のケアをする、こまめに連絡をとり、面接を重ね、面倒を引き受ける。生産や営業、開発といった売り上げにつながる努力は人事評価に直結する。…人間を支える人間を私たちは正当に評価することができない。
こんな内容だった。
私は“徳の高い”上司ではないが、外商部門で教育担当を永らくになってきたので、数多くの問題児(?)に対応してきた。すぐに休んでしまう、指示を守らない、やる気がない…などなど。特に、百貨店の外商は(その当時は)決して喜んで行きたい部門ではなかった(と思う。)「なんでこんな部署に来てしまったのか…」と率直に思っていることがヒシヒシと伝わってくる。「この部門に来て良かった!」と思ってもらえるように、いろいろと努力もした。朝は誰よりも早く出勤して、掃除機を掛け、デスクを綺麗なぞうきんで拭いて、出勤したメンバーには必ず「おはようございます」と声を掛けた。1日の仕事内容を明確にするため、文書化し、メール配信&朝礼での伝達。1日の振り返りミーティングで各人から報告を受ける。仕事の進め方に問題があるメンバーは会議室へ呼んで理由を聞き、出来ることは解決するように努めた。一番困ったのは無断欠勤で、連絡が付かない場合にはそのメンバーの住まいに行って在宅を確認し、話を聞かなければならない。訪問しても出てこない場合には、家族の許可を得て、アパートの管理人に連絡し、警察に相談して鍵を明けてもらったこともある。
こうした活動は売り上げには直結しない。でも、誰かがやらなければならない。特に不満を持っていたわけではない。元気になって、少しでも営業活動が出来るようになり、一緒にビールを飲めるようになれば嬉しかった…。
外商と言えば成果主義の象徴のような部門と思うかも知れない。実際に多くの企業では売り上げ連動型の処遇の仕組みが整備されている。しかし、売り上げに直結する仕事に専念できるのは、まわりのメンバーや面倒を見てくれる上司がいるからなのだ。“縁の下の力持ち”的な活動をする人がいなくなったら、高い処遇も実現しないのだ。
決して高い処遇を得ていないけれども、「あの人がいたからこそ、この部門は成り立っている」と思う人が複数いるはずなのだ。そうした“徳の高い”人を大切にしない組織は、みんなが自分の売り上げのことしか考えない組織は、決して継続的な成長はしない、と私は思う。しかし、こうした“縁の下の力持ち”の重要性をちゃんと考えている経営者は、そう多くはないのが現実だ。もっと処遇を改善しろ!と言っているのではない。“徳の高い”人はお金で動いているのではない。“縁の下の力持ち”を大切にする組織こそ、継続的な成長をもたらすと私は考える。