DXによって現場が混乱してしまうことだってあります
伊勢丹との経営統合以前の三越の経営戦略の基本となっていたのは「顧客営業戦略」であると捉えている。耳目を集める広告で認知を高め、魅力的な催事・快適な店舗環境で来店を促し、魅力的な商品と公平な接遇で再来店を促し、生涯顧客へと育成していくというものである。1908年に仮営業所が竣工し、徐々に店内環境を整えつつあった三越は、催物についても充実を図るべく、全国に銘品を求めたと言える。
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◎染織界の技巧の催進は
吾人が精巧品を全国に求むるに関連して読者の注意を乞はんとするものは我三越呉服店が年来実行せる新柄陳列会である。
抑も我が店は夙に改良発展を以て我国流行の源泉呉服業者の泰斗と過賞するに至つた。然れども苟も既に流行の源泉と称せらるる以上は、内国の染織業者と相携へて偏に其製品の粋を蒐めなければならぬ。又既に同業者の泰斗と称せらるる以上は自家の利害にのみ拘泥すべきではない。須らく天下の交易を念ひ斯業の発達に努めなければならぬ。爰に於てか私は明治三十四年始めて店内に新柄陳列会なるものを催し、爾来春秋二季に開会の制を定め、著名なる各地の染織家を勧誘し製品の出陳を促し広く之を萬衆の前に展列して其公明なる批判を乞ひ兼ねて其購求に応じて来た。効果空しからず次を重ね回を積むに従ひ、出品者が益々其制作の妙技を競ひ、我染織会の面目を新にしつつあるもの吾人の微力亦興つて貢献したる所あるべきを信じて居る。
我三越呉服店仮営業所成るを機とし新柄陳列会も又大に其規模を広くし範囲を広汎にし、染織業の発達に資し精粹を全国に抜かんと欲し、檄を全国染織業者に飛ばし、或は京阪、九州、東海、関東、東北の諸地方に対しては特に店員数名を分派し其苦心考慮を盡されたる新柄物の出品を遊説し、東北地方の遊説者の如きは時正に厳冬、積雪丈余、家と人を埋むる間に万死を冒して染織家を歴訪した事もある。或は知事、商業会議所等に委嘱して其地方の出品勧誘を乞ひ、以て全国を通じ粹を蒐め精を抜くを期した。幸にして天下同情の士吾人の微衷を諒とし陸続として其製品を出陳し今や光彩を放つに至つたのである。
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最近の百貨店は、自主編集売場がほとんどなくなり、委託売場やテナントが大半を占めるようになってしまった。これでは同業他店と差別化ができないどころか、ショッピングセンターやファッションビル、駅ビルとも差別化が出来なくなってしまっている。少なくとも催事については、自前で企画・運営し、それぞれの独自性を発揮して欲しい。