我々は此意味で学者の助力を仰ぐ ~三越の古典に学ぶ その21~
いわゆる製造小売にはならないとの宣言なのだが、その一方で広く全国に埋もれた職人、銘品をもとめて、場合によっては育成することで精巧品を品揃えしていくという活動を繰り返していた。
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第二編 商略の秘密
○私が従来執り来りし商品の仕入の方針
◎商店が工場を設置するの不可
商品の仕入は商家の最も重要とする所である。低廉に精良なるものを仕入るるを得ば優に市場に独歩し優勢を占むべしと雖も、不幸にして仕入品中に粗悪なるもの、不廉なるもの、若くは時勢の要求を伴はざるものであつたならば、啻に営業上失敗することのみならず、商店としての信用を損じ永遠の失敗を招くことがないことも無い。
商店の規模が大きくなるに従つて製造家より仕入れて販売することを以て甘ぜず、自ら工場を設けて製造し販売の利益に加ふるに製造上の利益を得やうとする者がある。
現に私も斯かる切を以て勧告を受けたことが度々ある。然れども私は商店が自ら工場を設けて製造するは自己の資本を以て自殺するに均しく、利益を得ざるのみならず、大なる危険の伏在するを以て、断然之に反対である。
蓋し商店自ら工場を経営する時は有用なる資本は一部割いて商業以外に投じ、従つて夫丈け本業の活動は減殺せられなければならぬ。之は第一の不利である。其製品が幸に世上の嗜好に適し多大の需要を喚起するを得ば、敢て不可なしと雖も、人の嗜好は変化して止まぬものである。常に需要と一致するを期するは極めて困難の事である。若し其製品が世上の需要に適せざるか、若しくは自己の向上以外に於て更に優等品の製造せらるる事もあらば、自己の製品は販路を求むることが出来ぬ。而して他向上の製品を販売しやうとすれば、工場に投下したる資本は勿論、之より生ずる製品も亦全然無用に属し、殆ど進退谷れるに至る。之れ第二の不利である。此二個の不便あるを以て私は世の工場併置論に耳を傾けず、商業より生ずる普通の利益を以て甘んじて居るのである。
◎商品は全国に渉つて産地に眼を着けよ
私は商店が自ら工場を設置するに反対するとともに広く全国に渉りて最も精良なる商品の仕入に力めるのである。
従来の大商店は西陣、桐生、足利等の如き最も盛んなる機業地方の有力なる製織元は大問屋と特約し、狭少なる範囲に仕入て居たのであるが、私は機業地方の大小を以て仕入を決定しないで飽まで精粋を全国に募り、而して廉価に之を顧客に供給するを期しつつある。所謂有力なる染織地は精良品を多額に生産すること勿論であるけれども然も其の供給は独り此等の地方に止まらず、往々にして世人の閑却せる地方の於て最も精巧なるものを発見することがある。越後山邊里の小田長四郎氏は山邊里または村上平を以て天下に轟き、其製品は仙台平等を凌駕し声望隆々、斯界の有力なるものである。
然も小田氏が始めて其製品を元三井呉服店に送り来るや、技術拙劣、中央市場に立つに足らざりしも、呉服界の偉才我藤村喜七君深く其前途に見る所あり、詳かに其欠点短所を指摘して改良せしめ、斯くの如くすること前後三四年、製織年と共に上進し、終に村上平の名をして天下に轟かしめたのである。米沢琉球の織元大友惣八氏も又同一の順序を追ひ、藤村君に知られ其指導の下に改良し、米琉今日の盛況を見るに至つたのである。藤村君の如く鑑識に長ずるものでなければ是等の染物は永く地方に埋没して了ふのであつたが、微々たる地方機業地も又之を指導し奨励するに其道を以てすれば、精巧品を供給するに至るのである。是れを以て吾人は製品は広く精粋を全国に求め其優等なるものを選んで愛顧の諸君に供給せんことを期して居る。
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昔の百貨店は、このように隠れた銘品を見出し、立派なブランドへ育成していくという活動をしてきた。しかし、今では自主編集売場がなくなり、百貨店自らが販売する売場は大幅に縮小したことで、こうした商品をお客様にご説明する機会が少なくなった。結果としてバイヤー人材は育たなくなり、ファッションビルや駅ビルとの同質化が進むことになった。人材の育成は一朝一夕には成り立たない。百貨店の存在意義をもう一度確認して、戦略を組み立て直す必要があると考える。