客の利益を与ふるには公平でなければならぬ~三越の古典に学ぶ その5~
この事例は、日比翁助がお客様からの信頼をいかに大切にしていたのかを示すものである。
*********
○斯くして私は店の信用を維持す
◎責任の益々重大なるを知る
弊店に来られる客の買物振を見ると私は益々自個の責任の重大なるを思はざるを得ぬ。買物にも品の大小、値の高下はある。然し最も痛切に感ずるのは貴金属部、美術部等に来られる客である。これ等の客は失礼ではあるが、質の真贋、品位の上下等を精確に鑑識される人は極めて稀である。これは客として素人として当然の事である。然るに其の買振を見ると値段の高下と云ふことはもとより其の考に入るであらうが、併し何百圓と云ふ品を買ふに何等の疑惑、何等の躊躇もなく、十銭、二十銭の買物をすると少しも異はぬ。
金のある人は金を吝まぬであらう。然し鑑識なきものは必ず多少の真贋を疑はぬものではあるまい。金を払ふことよりも品質の精確に重を措くであらう。然るに弊店に来られる人が少しも品質に疑ひを挿さまれぬ。三越の品と云へばそれで信用されるといふは実に私の感激に堪へぬことである。自ら広告してさへも人の信用せぬ今日、斯くまで信用されることを想ふては愈々責任の重大なるを感ぜざるを得ぬ。
私は世人の信用を受け、責任の重大なるを感ずるにつけ、常に製作に当る人々を訓諭して益々其製品に念を入れ完全ならしむることを心懸て居る。
固より私は一々各製品を検査することを得ぬ。適任者に托してあるのであるが、品質の云ふことに就ては有ゆる力を用ひて之を上進させることを惜まぬ。私の店員はこの製作部の心懸一にあり、而して世人の信用の厚きことは前記の如くであるから、私は製造に就ては常に刺激し奨励し一日も怠らぬ積りである。次に挙ぐることは近頃私の店に起つた事実で、私は斯くして私が信用を上進するに努めて居る。
◎純金に非ず銅なりとの苦情
先頃某地の客から十八金の斯く斯くと鎖一連の注文を受けたので、早速之を郵送した。値は二拾圓。
然るに三四日過ぐると客から非常に憤慨した手紙が着いた。自分は従来三越呉服店に非常に信用を措いて居たが、今回注文した鎖は全くの贋物であつた。相当の人に鑑定せしめた結果によると十八金と云ふは全く欺で、実物はで銅であると云ふ。自分は今日はで三越に安心して居たが、余りの徳不義に驚いたといつて来た。私はそんな間違のあるべき筈はない、仮令自分は傍に就て監督をせぬとしても品質に就ては常に厳密なる注意を払ふて居る。或は何かの誤解ではあるまいかと思つたので、私は折り返し、我が店は決して同製品を十八金などと誤魔化す様な事をせぬ積もりである。
併し或は何等かの誤なきを保せぬから甚だ御手数の段恐縮ではあるが一応現品を御返却被下たいといふことを鄭重に申送つた。
◎直ちに金の鎖を切断して試験す
鎖は夕暮に到着した。私は直に係員をして私の面前で薬物試験をさせた。一二の薬品を塗って磨つて見れば金であるや否やは直に分る。然るに試験の結果は一毫のひ疑もなく、金製なる事を証明した。
外部が金にしても内部まで果たして誤なきや否やが分からぬ。尚誤解の余地ありと思ひ鋏で鎖を縦に切って二片として試験をして見た。是れ又何等の異状もなく、純然たる金であつた。斯く精確なる品を指して客が銅である金でないと判断したのは何か其間に誤解を生ずる事情があつたのであらう。強いて邪推すれば或は出入りの商品が故らに斯の如き非難を私の店の商品に加へたのではあるまいか。
金と云ふことは最早疑ふまでもない。又光沢色彩等を見ると十八金と云ふことも疑ふべきもない。私は直に調査結果を報ぜんかと思ふた。蓋し私の店が現品を受けとつた後、一刻にても猶予すれば三越は同一の代用品を大急ぎで調製したといふ誤解を免れぬ。故に私は客をして到底斯かる誤解を容るる余地なからしむる為に到着した時には既に夕暮であつたが即刻試験させたのである。品位も差支ないとは思つたが、夜の光で見たのであるから或は違ひあるかも知れぬ。兎に角明朝も一度太陽確に見定めた上にせんと思ひ直し翌まで発送を見合せ、翌日は出勤するや否や直に品位を鑑定したが、之れ又立派な十八金で少しも疑ひを容るる余地がなかつた。
試験が済むと直に詳細の顛末を記して断つた鎖と共に客の許に郵送した。無論引き取つて下さいとは云はぬ。只三越の品は決して贋物でない、斯くの如く精確なるものであるといふことを了解して貰へればそれで宜いのであつた。
客は深く其粗漏を謝した。一時とは云へ三越を疑ひ迷惑をかけたことを詫び、この鎖は記念に為に喜んで買ひ入れる故、早速継ぎ合せて貰いたいといふて来た。再び継ぎ合わせて客の許へ郵送した。
*********
今ではお客様からの苦情を出店する取引先に丸投げしている百貨店も多いと聞く。しかし、私が現役時代には「商品の販売責任は三越にあるんだよ。だから、お客様からの苦情に対しては三越の責任で対応しなければならない。」と言われたものだった。そのため、しょっちゅうお客様のところにお詫びに行っていたものだった。