私の店が色々の参考品を備へ、色々の美術品を置き、色々の織物品を列べてあるのは~三越の古典に学ぶ その7~
企業に対するロイヤルティを醸成する場として年2回の運動会を開催し、寄宿舎にて将来の三越を担う人材としての教育を徹底していた。
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◎店員休養法
私は是等の説明で常に店員をして精神的に業務に奮闘することを要めると共に、又其奮闘に対し休養を与ふることに努めて居る。即ち毎月二日間は仕事に都合を見て、店務に差支ない範囲内に於て交代に休養させて居る。又春秋二回には大運動会を催し平素の奮闘に慰安を与へて居る。
設備も略完全し店員一同も深く喜んで居るらしい。『夫れでは少しお気の毒に思ひます。』と云ふものさへあつた。店員がかく迄運動会を喜び店の誠意を了解するのは即ち又平素奮闘して呉れる原因である。
併し運動会は団体となつて規律正しく行動せねばならぬ。三越の店員としては身体動作総て整然として一糸乱れぬを必要とし、従つて愉快を感じながらも、多少窮屈の感なきを得ぬであらう。夫れ故春の運動会は団体とせず各自に酒肴料を与へて個々に自由に休養させ、三越の体面を汚さぬ範囲に於て伸び暢びと愉快に遊ばせて居るが、爾後この例を追ふ積である。
◎商店間に人材の争奪が起こるは必然也
デパートメント、ストーワの可否は最早問題とならぬ、問題は何時になつたら益々発展するか、その時期である。故に独り我三越のみでなく、将来は他にも続々と此計画を実行するものが出来るであらう。而して計画に伴ふて起る問題は人物である。遽に適当の人材を求めんとしても得られるものではない。
故に人材の争奪は必然起るであらう。月給五十圓の人に対しては『それでは七十圓出すから来てくれ』。といふ様なことが起らぬとも限らぬ。
今日三井家との関係上、多年養成されて居る店員は直に誘拐されるとは思はぬ。併し将来は人材の急需が起り争奪が行はれることなしとも限らぬ。之が為に三越は小供寄宿舎を設けて小供の時から三越式に教育して三越式の空気に接触させ、将来活動の力をその心身にたたき込ませる積である。我々は今後幾年の後、適当な奮闘が出来なくなつても、我々に代つて我三越の為めに第努力するものを作りたいのである。
寄宿舎が出来て、起臥や食事や其他の事に関して当事者と種々談話して居た時、起臥出入りの合図には鈴を鳴らすと云ふことを聞いた。私は是れを聞き『十二鈴をならす? 君等は鈴など鳴さして豆屋や豆腐屋を作らんとするのであるか。あの悠暢な気力に乏しい響きで活動的な人物を養はれると思ふて居るか、此の寄宿舎は将来三越を背負ふて立つべき大切んば大人物を作り出すが目的ではないか。何故に喇叭を用ひて軍隊式に訓練せぬか。号令をみみにすれば喇叭に代へ給へ』。といふたことがある。細事の様であるが店員の精神に及ぼす影響は甚大である。
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デパートメントストアの実現を通して日本の近代化に貢献しようとする日比翁助が最も重視したと思われるのが人材の育成であった。