彼等は日本の国土を以て愉快な楽園と感ずるに相違ない~三越の古典に学ぶ その9~
人には様々な違いがあるが、ベストを尽くすことが大切だと日比翁助は語る。
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◎全力を出せ唯全力を出せ
我店員は協同一致、蔭日向なく奮闘するのは一には適当な人材を集め得たにも由るであらうが、又一には所謂三越式の新空気が自ら店内に磅碍する為であらうと思ふ。
私は平常店員に対して次の如く云ふて居る。『人には天性賢愚がある。能不能がある。之れは如何ともすることが出来ぬ。併し私は賢愚に係らず各其ベストを盡されることを希望する。十五の力ある者が十三の力を出せば十よりも優るであろうが其の全力に比すれば二劣つて居る。力の大小は人によつて異同がある。それは已むを得ないが、有だるだけの力を発揮したい。私は常にこのことを店員に告げて居る。店員が其全力を揮ふて奮闘するも、有益と信じたことを建議するも皆私が微意を解するものであたつたらうと信じて居る。』
◎店員奮起の一声
又三越といふ名は店員に三井家を連想させ、自分等の従事して居る事業は三百年来継承したものであることを想はせ自ら店員の奮闘心を刺激して居るらしい。
三越呉服店が独立する時、三井家より『三越は多年の栄光ある歴史を有するものである 今回独立するに当つてよく此歴史を思ふて決して汚名を被らせ、又は三井家に累を及ぼさぬ様に心掛けて貰いたい。』と云ふ申渡を述べ、次に『斯うして我三越呉服店が独立したのは恰も我明治政府が維新の大業を成したであると同様。又時勢の変遷に従つて従来の呉服一方を改てデパートメント、ストーワとしたのは我店の一大革命であるの我々は同時に今最も困難なること二大革命事業を為さんとするのである。
呉服店は創立以来三百年に達した。其間歴代の主人は今日の如く此店を発達し大成されるに就て如何に辛苦せられたであらう。又過去に於ける我同僚の人々は如何に主人を助けて店勢を拡張するに苦労されたであらう。呉服店は過去に於て三井家唯一の事業で銀行物産鉱山の基をなしたものである三百年間之れを経営し、発達させ、之を我々に伝ふるまでには店務を為に斃れた人もあらう。いひ知れぬ辛苦に其の生を早めた人もあらう。
我々が今後三越を経営するに当つては前第の人々の辛苦に報ゆることの覚悟がなければならぬ。万一経営宜しきを失ひ、失敗することがあれば独り我々の理解に関するのみならず、三百年来辛苦に大成あれた前第の人々に対しても相済まぬ次第である。
組織を改めてデーアートメント、ストーワとするは容易ならぬ難事である。我々の非情なる覚悟を要することであるが、若し此改革を断行しなければならぬ時勢の変に後れて、自滅するのは外はない。曾て我々の仙台は時勢に応じて切売、現金売を断行して愈々栄へたことがある。我々が組織を改める即ち先代の人々の行ひ来つたことで、只形を異にするに過ぎぬ。
若し我々が諸君の協力を受けて店務益々栄へ基礎愈々鞏固を加へ之れを後に同僚に伝へて千万年の後までも彌々栄へたなれば我々の名誉は偉大なるものである。今々時勢の編成に処し前の同僚に受けて後の同僚に伝ふる極めて大成の一に居る幸にして成功すれば我々の大丸なる名誉となり、先人及び後人にに対する誇となる。之れは困難の事業ではあるが一面より見れば我々は最も光栄ある且つ最も面白い時代に当つたものである、切に諸君の奮闘を祈る。
といひ、其後も居りに触れては之を繰返し説いて居るが、近頃は大分に人々の頭脳に染み込んだ様である。
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三井家は、事業としての明るい展望が描けなかった呉服部門を切り離すことにした。それが三越呉服店であった。三井家という後ろ盾を失った三越は自力で存続を図らなければならなくなった。その先頭に立ったのが日比翁助専務である。日比翁助専務は単に呉服部門の存続だけでなく、福沢門下生として日本の近代化への貢献を意図していた。